六四 ジェヴォンスが初めて「経済学の理論」を公にした頃(一八七一――一八七二年)、ウィン大学教授カール・メンガーは「国民経済学原理」(〔Grundsa:tze der Volkswirtshaftslehre〕)を公にした。これは、交換の新理論の基礎が、他と独立にかつ独創的な形で説かれた第三の著作であって、私の著作に先行している。メンガーも、私共のように、交換理論を引き出す目的をもって、消費量の増加と共に欲望は逓減するとの法則を立てて、利用理論を説いている。氏は演繹的方法を用いたが、数学的方法を用いることに反対している。しかし、氏は、利用や需要を表わすのに、函数や曲線を用いてはいないが、少くとも算術的表を用いている。この事情により、ゴッセンとジェヴォンスを数行のうちに批評したように、メンガーの理論をも簡単に批評し尽すことは出来ない。私はただ、氏とウィーザーやベェーム=バウェルクのように氏に追従した著作者達とが、ただ本質上数学的な問題に数学的方法と用語を率直に用いることを拒否したのは、貴重にしてかつ欠くべからざる手段を抛棄したものであるといいたい。しかしここで附言しておくが、これらの著者達は、不完全な方法と用語とを用いたとはいえ、交換問題の深い研究を遂げた。少くとも確かに、稀少性の理論すなわち彼らのいわゆる限界利用[#「限界利用」に傍点]の理論に経済学者の注意を強く促すのに成功している。今やこの理論は経済学の中に現われて、最も光輝ある未来を予想せられている。私は、この理論から、価値尺度財で表わした商品の価格決定の抽象的理論を導き出した。私は、(一)生産物の価格と土地収入、人的収入、動産収入の同時的決定の理論、(二)純収入率の決定の理論、土地資本、人的資本、動産資本の価格決定の理論、(三)貨幣で表わした価格決定の理論を導き出そうと思う。これらの理論はいずれも抽象的ではあるが、互に関連しているから、組織的な綜合をすれば、現実の説明となり得るであろう(三)[#「(三)」は行右小書き]。

[#ここから1字下げ、折り返して3字下げ]
註一 特に第三章四一頁、第十六章二三四頁、第十八章二七九頁参照。
註二 〔Etudes d'e'conomie sociale. The'orie de la proprie'te'〕, §4 参照。
註三 すべての誤解を避けるため、私は繰り返していっておかねばならぬが、この章の最後の三節は、この書物の第二版において附け加えられたのである。一八七四年の第一版で、この書物より先に著わされた右に挙げた三著作を引用しなかったのは、私がこれらの存在を全然知らなかったからである。
[#ここで字下げ終わり]
[#改丁]
  第四編 生産の理論
[#改丁]

    第十七章 資本と収入について。三つの生産的用役について

[#ここから8字下げ]
要目 一六五 生産物としての商品。既に供給と需要の法則を得たが、次に生産費または原価の法則を求める。一六六 土地。労働及び資本。不完全な表現。一六七 資本。一回より多く使用せられる社会的富の種類。収入。一回しか使用せられない社会的富の種類。性質によるまたは用途による資本及び収入。一六八 物質的または非物質的な資本及び収入。一六九 資本の継続的な用役は収入である。消費的用役。生産的用役。一七〇 土地と地用、すなわち土地資本と土地用役。一七一 人と労働、すなわち人的資本と人的用役。一七二 狭義の資本と利殖、すなわち動産資本と動産用役。一七三 収入。一七四 土地。ほとんど一定量に存在する資本。一七五 人、消費と産業的生産の外において消滅したり、再現したりする資本。一七六 狭義の資本、生産せられる資本。一七七 既に生産物の価格を得ておるので、生産用役の価格を求める。
[#ここで字下げ終わり]

 一六五 現象がいかに複雑であろうとも簡単から複雑に進むべしという準則を守るならば、それを科学的に研究する方法が常に存在する。私は先に、二商品相互の間に行われる交換、価値尺度財を用いないで多数の商品の間に行われる交換、価値尺度財を仲介として多数の商品の間に行われる交換を順次に研究し、交換の数学的理論を明らかにした。それをするに当り、私は、商品が土地、人、資本等の生産要素の結合から生ずる生産物[#「生産物」に傍点]であるという事情を看過しておいた。今はこの事情を加え、生産物の価格の数学的決定の問題の後を承けて、生産財の価格の数学的決定の問題を提出すべき時となった。交換の問題を解いて、私共は、需要供給の法則[#「需要供給の法則」に傍点]の科学的方式を得たのである。生産の問題を解いて、生産費の法則[#「生産費の法則」に傍点](loi des frais de production または loi du prix de revient)の科学的方式を得るであろう。かくして私共は、経済学の二大法則を発見したこととなる。ただこれらの二つの法則を価格決定の点から互に競合せしめ矛盾せしめることなく、生産物の価格決定を第一の法則を基礎として説明し、また生産財の価格の決定を第二の法則を基礎として説明することにより、私は、これら二つの法則にそれぞれの地位を与えようと思う。多くの経済学者が信じたように、また今でも人々が信ずることを躊躇しないであろうように、また私自身も完全にはこの考えから脱却していないように、正常的理想的状態においては、商品の価格は、その生産費に等しい。この状態すなわち交換と生産の均衡状態において、五フランに売られる一本の葡萄酒は、この生産のために、二フランの地代、二フランの賃銀、一フランの利子を要する。問題は、二フランの地代、二フランの賃銀、一フランの利子を支払ったから、葡萄酒一本が五フランに売られるものであるか、または葡萄酒一本が五フランに売られるから、二フランの地代、二フランの賃銀、一フランの利子を支払うのであるかということにある。一言でいえば、問題は一般にいわれるように、生産物の価格を定めるものは、生産財の価格であるか、または生産費の法則によって生産財の価格を決定するものは、既に述べたような需要供給の法則によって決定せられる生産物の価格ではないかということにある。今、研究しようとする問題は、この問題である。
 一六六 生産の要素の数は三つである。これらを列挙するとき、学者はこれらのそれぞれを、土地[#「土地」に傍点]、労働[#「労働」に傍点]、資本[#「資本」に傍点]と呼ぶのが最も普通である。だがこれらの表現は充分に厳密なものではなく、合理的演繹の基礎とすることが出来ない。労働[#「労働」に傍点](travail)は人の能力の用役すなわち人的用役である。故に労働と並べて土地、資本を置くべきではなくして、地用[#「地用」に傍点](rente)すなわち土地の用役と、利殖[#「利殖」に傍点](profit)すなわち資本の用役とを置かねばならぬ。私はこれらの語を厳密な意味に用いようと欲するから、これらを注意して定義せねばならぬ。この目的から、私はまず、資本及び収入について、普通に与えられるよりは遥かに狭い定義を与え、以下それを用いたいと思う。
 一六七 私の父が「富の理論」(〔The'orie de la richesse〕. 1849)においてなしたように、すべての耐久財、すべての種類の消費し尽されることの無い社会的富または長い間にしか消費し尽されない社会的富、人が第一回の使用をなしてもなお残存する所のすべての量において限られた利用、換言すれば一回以上役立つすべての量において限られた、例えば家屋、家具のようなものを、私は、固定資本[#「固定資本」に傍点](capital fixe)または資本一般[#「資本一般」に傍点](〔capital en ge'ne'ral〕)と呼ぶ。そしてすべての消耗財すなわち直ちに消費せられるすべての社会的富、一度用役を尽せば消滅する稀少なすべての物、換言すれば一回しか役立たない財、例えばパン・肉のようなものを、流動資本[#「流動資本」に傍点](capital circulant)または収入[#「収入」に傍点](revenu)と呼ぶ。これらの収入の中に含まれるものは、私的消費財のほか、農業及び工業によって用いられる原料品、例えば種子、織物原料等である。ここでいう富の持続とは、物理的持続ではなくして、経済的持続すなわち利用の持続である。織物の原料にあたる繊維は、物理的には織物のうちに持続している。しかしそれらは原料としては消滅して、再び同じ用途に用いられない。反対に建物、機械のようなものは資本であって、収入ではない。なお附け加えておくが、ある種の社会的富は当然資本であり、他の社会的富は収入であるとしても、またその用途により、または人々がそれに要求する用役の種類により、あるいは資本となり、あるいは収入となる多数の富がある。例えば果樹などがそれであって、果実が採取せられるとき、それらは資本であり、薪を作るためまたは加工するために伐採せられれば、収入である。また家畜などが、それであって、使役せられるときまたは卵、牛乳を採取せられるとき、資本であり、食用に供するため屠殺せられるとき、収入となる。ところですべての種類の社会的富は、その性質により、その用途により、一回以上用いられるか、またはただ一回しか用いられないかであり、従って資本であるか、あるいは収入であるかである。
 人々が資本を消費するという場合には、これらの人々がまずその資本を収入と交換し、しかる後この収入を消費することを意味する。同様に収入を資本化するには、これらを資本と交換せねばならない。
 資本は貯蔵[#「貯蔵」に傍点](approvisionnement)と混同してはならない。貯蔵は消費の目的にあらかじめ用意せられた収入の合計に過ぎない。穴倉に貯えられた葡萄酒、倉庫に貯えられた薪炭、織物の原料の如きは貯蔵である。鉱山・石山の鉱物・石材もまた収入の合計であって、資本ではない。
 一六八 私は、稀少である、すなわち利用があってかつ量において限られた有形または無形の物の総体を社会的富と名づけたのであるから(第二十一節)、この社会的富を二つに分類した資本と収入も、あるいは有形であり、あるいは無形のものである。物の有形無形は、資本と収入の場合にも、重要性をもたない。後に資本が何故《なにゆえ》に収入を生ずるかを述べるであろうが、そのときまた、有形の資本も無形の収入を生むことが出来、また無形の資本が有形の収入を生むことが出来るのを見るであろう。今からこの事実を述べておくのは、資本と収入との区別を明らかにしようと思うからである。
 一六九 資本の本質は収入を生ぜしめることにある。収入の本質は、資本から直接または間接に発生することにある。なぜなら資本は、定義により、人々が第一回の使用をなしてもなお残存するものであって、従って引続いて使用せられ得るものであるが、これらの使用の継続は明らかに収入の連続であるからである。土地は年々収穫を発生せしめる。家屋は春夏秋冬不順な気候を防いでくれる。土地のこの豊度、家屋のこの掩護《えんご》は、これら土地及び家屋の年々の収入を形成する。労働者は日々工場に労働し、弁護士・医師は日々その診療に従事する。この労働、この診療は、これら労働者の日々の収入である。同様に、機械・道具・家具・衣服の収入もある。多くの学者は、資本と収入とをかく区別して考え得なかったために、不明瞭と混同に陥っている。
 資本と収入との区別を明らかにするため、資本の使用によって成立する収入に、用役[#「用役」に傍点](services)の名を与えよう。この用役のうちには、公私の消費によって消費せられるものがある。家屋がなしてくれる掩護、弁護士の相談、医師の診察、家具衣服の使用などがそれである。これらを消費的用役[#「消費的用役」に傍点](services consommable)と呼ぶ。このほかに農業・工業・商業によって、収入または資
前へ 次へ
全58ページ中43ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
手塚 寿郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング