iである。人間のみが人格であり、鉱物、植物、動物は物である。
 物の目的は人格の目的に合理的に従属している。自覚を有せず自らを抑制しない物は、その目的の追求に対し、またその使命の実現に対し責任をもたない。また物は悪事も善事もなし得ないのであって、常に全く罪が無い。それは純粋の機械装置と同一視される。この点では動物も鉱物、植物と異らない。動物の衝動はすべての自然力の如く盲目的で如何《いかん》ともし難い力に過ぎない。これに反し人格は自覚を有し自らを抑制するという事実のみによって自らその目的を追求せねばならぬという負担を負わされ、その使命の実現の責任を負うのである。もしこの使命を実現すれば、人格は価値があるのであり、もしこの使命を実現しなければ人格は無価値なのである。だから人格は物の目的を自己の目的に従属せしめる能力と自由とをもっている。この能力と自由とは特別な性質をもっている。すなわちそれは道徳的力であり、権利である。これが物に対する人格の権利の基礎である。
 しかしすべての物の目的はすべての人格の目的に従属しているのではあるが、ある人格の目的は、他のいかなる人格の目的にも従属していない。もし地上にただ一人の人間しかいないとしたら、彼はすべての物を支配し得るであろう。けれども人は地上に一人ではない。地上にあるすべての人間は互《たがい》に相等しく人格であるから、同じ様に自らの目的を追求する責任を有し、自らの使命を実現する責任をもっている。これらすべての目的、これらすべての使命は互にそれぞれその処を得なければならぬ。そこに人格相互の間の権利と義務の相互関係の根源があるのである。
 一九 これによって見ると、社会事実のうちに深い区別がなされなければならぬことが解る。一方自然力に対して働きかけた人間の意志と活動から来る所のもの、すなわち人格と物との関係を区別せねばならぬ。他方他人の意志または活動に対して働く人の意志または活動から来る所のもの、すなわち人格と人格との関係を区別せねばならぬ。これら二つの範疇の事実の法則は本質的に異る。自然力に対して働く人間の意志の目的、人格と物との関係の目的は、物の目的を人格の目的に従属せしめるにある。他人の意志の領域に影響を及ぼす人間の意志の目的、人格と人格との目的は、人の使命の相互の調整にある。
 故に、おそらく便利であろうと思われるが、私はこ
前へ 次へ
全286ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
手塚 寿郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング