アのことは、この力の研究だけが理解せしめてくれよう。しかしそれは当面の問題ではない。今重要なのは、この力は自らを知りまたまた少くともある限度の中では抑制し得ることである。そしてこの事実が、この力の効果と他の力の効果との間に深い差異を生ぜしめるのである。自然力の効果については、我々はこれを認識し、識別し、説明することよりほかに為し得ないのは明らかであり、また人間の意志の効果については、まずこれを認識し識別し、説明し、更にこれを支配せねばならぬのは明らかである。これらのことが明らかであるというゆえんは、自然力は行動の意識をもたず、従ってなお更に必然的に動くよりほかに働きようがないからであり、反対に人の意志は行動の意識をもち、かつ種々な態様に働き得るからである。故に自然力の効果は、純粋自然科学または狭義の科学と呼ばれる研究の対象となる。人間の意志の効果はまず純粋精神科学または歴史と称せられる研究の対象となり、次に他の名称例えば政策、道徳等の名を冠せられる所の既に我々が述べてきたような研究の対象となる。だからコックランが科学と政策との間になした区別(第十節)は正当であることになる。「政策は忠告を与え、命令し、指揮する。」なぜかというに、それは人間の意志の働きを根源とする事実を対象とするからであり、また人間の意志は少くともある点までは聡明で自由な力であって、人の意志に忠告を与え、ある行動を命じこれを指導することが出来るからである。科学は「観察し、解明し、説明する。」なぜなら、科学は自然の力の働きを原因とする事実を対象とするからであり、自然の力は盲目で如何《いかん》ともなし難いから、これに対してはこれらの効果を観察し、解明し説明するほか何事をもなし得ないからである。
 一八 かようにして私は、コックランのように経験的にではなく、人間の意志の聡明と自由との考察から、科学と政策との区別を理論的に見出した。今は政策と道徳との区別を見出すことが問題である。だが人間の意志の聡明と自由とを考察しまたは少くともこの事実の一つの結果を考察すれば、社会的事実を二つの範疇に分つ原理を得ることが出来よう。
 人間の意志が聡明であり自由である事実によって、宇宙のすべての存在は、人格と物との二大種類に分れる。自らを識《し》らないもの、自らを抑制しないすべてのものは物である。自らを識り自らを抑制する者は人
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