けた仲買人は、この価格で供給する。彼らは互にせり下げる。
 これから二つの結果が生ずる。(一)五九・九五フランにおいて売手となり得ない所の六〇フランにおいての売手は退く。(二)六〇フランにおいて買手となり得ない所の五九・九五フランにおいての買手が現われる。そこで供給と需要との隔りが減少する。そして供給と需要との均等が再び現われるまで、価格は五九・九五フランから五九・九〇フランへ、五九・九〇フランから五九・八五フランへと下落する。
 この三分利付フランス国債に行われたと同じ作用が、すべての公債例えばイギリス、イタリア、スペイン、トルコ、エジプト等の公債にも、また鉄道・港湾・運河・鉱山・瓦斯《ガス》事業・銀行その他の信用機関等の株式及び社債にも行われ、その変化は証券の如何《いかん》により〇・〇五フラン、〇・二五フラン、一・二五フラン、五フラン、二五フラン等であると想像し、また現物取引のほかに定期取引が行われ、その定期取引中にも単純定期取引、歩金《ぶきん》取引等が行われると想像せよ。かくて取引所の喧騒はあたかも各人がそれぞれの楽器を受持っている演奏会のようなものである。
 四三 私共は、これからかかる競争状態において生ずる交換価値を研究しようとする。一般に経済学者は、例外的な事情の下に現われるような交換のみを研究しようとする。彼らはダイヤモンドや、ラファエルの絵画、流行の音楽会のみを研究する。ジョン・スチュアート・ミルの引用によれば、ド・クィンシー(De Quincey)氏は、汽船に乗ってスーペリオール湖(〔Lac Supe'rieur〕)を旅行する二人を想像する。一人は楽器を所有し、他の一人は「文明から八百|哩《マイル》も遠ざかっている無人の地への移住の途中であり」、ロンドンを出発するに際し楽器を購うのを忘れたのであった。この人にとって楽器は心の不安を和《やわら》げる神秘な力をもっている。下船しようとするとき、この人は他の一人が所有する楽器を六〇ギニーの価格で購ったという。もちろん理論はかかる特殊な場合をも考えねばならない。市場に行われる一般的法則は、ダイヤモンドの市場にも、ラファエルの絵画の市場にも、楽器の市場にも適用せられねばならない。それはまたクィンシーが考えたような一人の売手と一人の買手と一箇の物と一瞬間とから成る市場にも適用せられねばならない。しかし論理的には
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