ゐるんですよ。支那《しな》の山東省《さんとうしやう》の鄒邑《すういふ》といふ所で産れた孔子様、この人は偉い人だよ。或時《あるとき》にね、カンタイといふ人が、孔子様を憎んで、斧《をの》で斬殺《きりころ》さうとしたのさ。所が孔子様は、(天、徳を吾《われ》に為《な》せり、カンタイ夫《そ》れ吾《われ》を奈何《いかん》。)と仰《おつ》しやつて、泰然自若として坐《すわ》つていらしたんだ。するとカンタイは孔子様を殺しどころか色を変へて逃げたのださうな。それからずつと後に、ワウモウといふ人があつたのだよ。或時に黄巾《くわうきん》の賊といふ馬賊が攻めて来た。するとワウモウは孔子様の真似をして、(天、徳を吾に為せり、黄巾の賊夫れ吾を奈何。)と言つたが、其の言葉の終らないうちに、ワウモウの首は、すぽりと前に落ちてゐたさうだ。」と、立て続けに申しました。
「では壺の向ふに、孔子様とカンタイと、ワウモウと黄巾の賊を描くのですか。」と、画家さんはききました。
「いいえ、孔子様だけ。孔子様が右の手をこんな風に握つて、小指をこんなに撥《は》ねてゐます。」と、言つて、学校へ行きました。そして何にも覚えずに帰つて来てみま
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