其の筈だ。よく晴れた日には海を隔てたサンフランシスコからでも、バークレーの緑の丘を背景に、くっきりと白く見える程の高塔である。オークランドからバークレーに行く者が北に北にと進むにつれて、時々刻々に此の高塔の姿が大きくなって自分に面して来るのを誰でも気づくであろう。だから此のカムパニールは、満州の喇嘛《ラマ》塔のように迷路の標塔でもある。
 セイサア女史は校門の落成は見たらしいが、此のカムパニールの竣功を見ないで此世を去った。大学当局者達の遺憾の念いは一通りでなかったと見え、夫人の追悼会場に於て博士エドワード・ビー・クラップの演説に、
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我がカリフォルニヤの到る所に、此のカムパニールの姿を眼に刻みつけ、その美しい鐘の音に胸を高鳴らせた人々が、やがて多く現われることであろう。間もなく吾々の校庭にはそれが雲とそそり立つであろう。その冲天《ちゅうてん》の姿こそ、若きカリフォルニヤのシンボルである。これを無用の長物と呟かしめる事は当事者の恥である。
美しき門と高き塔とは世々に其の美と美の価値を人の心に悟らしめるであろう。その存続は此の大学と倶に永久であろう。しかも大学は文化
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