ねえ、七八年このかたいつでも不作だ、出來る年にや馬鹿に出來るんだが出來過ぎてぶつ倒れつちまふんだからこれも仕やうがねえんだ、それから俺ら今ぢやこゝらあ作らねえで上の方ばかりだ
といふ所を見ると彼は百姓もするのである、
丈は一丈もある蘆が淋しくさら/\と靡いて居るが月の光に照されて居る枯穗がくろずんで見えるので怪しんで問うて見ると水が出た時汚れたんだらうといふことであつた、八月末の暴風雨の折には殆んど海嘯のやうに波浪が押し寄せたのでこの沿岸の人家も非常な損害を受けたのであつたが彼の家などもその時既に危かつたとのことである、
「三味線屋の三階もあぶなく吹つ倒されるんだつけがそんでもいゝ鹽梅に大工が駈けつけてそつちへ棒をかつたりこつちへ棒をかつたりしてやつと助かつたんだ、俺れが知つてる男があの時死んちまつた、なんでも逃げ出したのを戻つて行つたら舟がひつくる返つて死んだんだ相だ、跡で見たら往來だつけとよ
ともう横には成らなかつた、余は計らず彼の口から自分の泊つた宿屋が三味線屋といふのであることを知つた、彼はまた思ひ出したかのやうに
「旦那、松が關ツちふ相撲知つてるかね
と問うたので余は
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