て喚ぶ人を花賣われは女し思ほゆ

浄土寺の松の花さびさびたれど石切る村の白河われは

    雜詠

朝靄の多賀の城あとの丘の上の初穗のすゝき雨はれむとす(多賀城趾)
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 明治四十年


    蕨君病むと聞きて

睦岡の杉の茂山しげけれど冬にし病めば淋しくあるらし

冬の日の障子あかるくさゝむ時|蒿雀《あをじ》も來鳴けなぐさもるべし

君が庭の庭木に植ゑしよそゞめのいやいつくしき丹の頬はや見む

命あれば齢はながし網《あみ》繩の長き命をな憂ひ吾が背

    左千夫に寄す

蒼雲を天のほがらに戴きて大き歌よまば生ける驗《しるし》あり

大丈夫のおもひあがれる心ひらき※[#「鈞のつくり」、第3水準1−14−75]はす花は空も掩む

春の野にもえづる草を白銀の雨を降らして濕ほすは誰ぞ

大丈夫は眠れる隙にあらなくに凝り滯る心は持たず

春の光到らぬ闇に住みなばかくゞもる心蓋し持つべし

大空は高く遙けく限りなくおほろかにして人に知れずけり

    雲雀の歌

春の野に群るゝ神の子、
黄金の毛を束ねたる、
小さなる箒もて、
手に/\立ち掃きしかば、
緑しく麥の畑に、
黄金の菜種の花は、
眞四角に浮きてさき出ぬ。
白玉のつどひの如き、
神の子は戯れせむと、
其花の筵の上を、
ふは/\と飛びめぐれば、
柔かく濕れる土に、
ほろ/\と止まず花散る。
其時に神の子一人、
硝子《びいどろ》の管をつけたる、
白銀の長き瓶より、
噴き出づる瓦斯を滿たしめ、
風船玉空に放てば、
そを追ふと神の子數多、
碧なる空のなからに、
其玉を捉へ打ち乘り
あちこちと浮きめぐりつゝ、
括りたる白糸解きて、
其玉の縮まる時に、
ふは/\とおりもて來ると、
風船玉やまず放てば、
飛びあがり/\つゝ、
餘念なく戯れ遊ぶ、
斯る時神の子一人、
蟲あさる雲雀みいでゝ、
こそばゆき麥の莖に、
掻きさぐり一つ捉り來て、
小さなる嘴をあけ、
白銀の瓶の瓦斯を、
其腹に滿て膨らまし、
すら/\と空にあがりて、
小さなる其嘴より、
少しづゝ吐かしむる時に、
囀りの喉の響は、
針の如つきとほし來ぬ。
菜の花の筵に立ちて、
めづらしむ神の子なべて、
おのがじゝ雲雀とると、
追ひめぐり羽打ち振れば、
麥の穗に白波立ちて、
さきへ/\波は移りぬ。
かくしつゝ神の子どもは、
悉くまひのぼれば、
うらゝかに懶き空に、
滿ちわたる輕き空氣は、
左右縦に横に、
こまやかに振動しつゝ、
畑打の耳|※[#「てへん+櫪のつくり」、294−8]《くすぐ》りて、
響は止まず。

    早春の歌

天の戸ゆ立ち來る春は蒼雲に光どよもし浮きたゞよへり

春立つと天の日渡るみむなみの國はろかなる空ゆ來らしも

蒼雲のそくへを見れば立ち渡る春はまどかにいや遙かなり

おのづから滿ち來る春は野に出でゝ我が此の立てる肩にもあるべし

おほどかに春はあれども搖り動く榛が花にも滿ち足らひたり

そこらくの冬を潛めて雪殘る山の高嶺は浮き遠ぞきぬ

いさゝかも春蒸す土のぬくもればゐさらひ輕み雲雀は立つらむ

麥の葉は天つひばりの聲響き一葉々々に搖りもて延ぶらし

おろそかにい行き到れる春なれや青める草は水の邊に多し

    鷽の歌

うそどりの春がたけぬと鳴く聲に森の樫の木脱ぎすてにけり

うそどりよ汝が鳴く時ゆ我が好む枇杷のはつかに青むうれしも
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 明治四十一年

    獨

     一
とゝ/\と喚べば馳せ來て、
麥糠にふすまを交ぜし、
餌箱《ゑさばこ》に嘴を聚め、
忙しく鷄は啄む。
そを見つゝ庭に立てば、
家のうち人もなし。
母は今外に在り。
父共に外にあり。
芋植うる曩の日行きて、
芋植ゑて既に久し。
三人なる家族《やから》なれば、
唯一人我は殘れり。
掛梯子昇り行き、
藁の巣に卵うみて、
牝※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《めんどり》の騷ぐ時、
寂しさは纔に破る。
つれ/″\と永き晝、
遠蛙ほのかなり。
濕りたる庭のうち、
はらゝかに辛夷散り、
手桶なる茹菜の中に、
菜の花の匂へる見れば、
世の中は春たけぬらし。
我は只一人居り。
つゝみある身をいたはりて、
我が母は外に在り。
すこやかに今なりて、
歸らむと思へば嬉し。
口髭は常剃りしかど、
剃らざれば延びにけり。

     二
垣隣人をよびて、
口髭を剃らしむれば、
松葉もてつゝくが如し。
芥子坊主剃り殘されて、
只泣きに泣きし此の方、
斯くばかり疼きことなし。
こそばゆき顎をさすり、
春日さす縁に立てば、
ぱら/\とジヨン馳せ來つ。
午餐する茶を沸すと、
草取りに畑へ行きし、
下婢は今かへり來らし。
縁側に足を掛け、
我を見るはしき犬、
煎餅をもて行けば、
前足を胸に屈め、
後足に立ちながら、
ワンといへばワンと吠ゆ。
板の間の猫の皿を、
こと/\と※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]のつゝくに、
シヽといひて我が立てば、
忽ちに※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]追ひ立て、
竹藪に迫《せ》め騷がし、
尾を振りて我が許に來る。
桑畑へ鎌もて行く、
草取りと野に行けば、
桑の木の枝移り鳴く、
頬白に吠えながら
先へ/\駈けめぐると、
人ならば草臥れむ。
砥を立てゝ鎌を研ぎ、
草取の復た行くを見て、
ぱら/\と馳せ行くを、
煎餅もて喚べは[#「喚べは」はママ]戻り、
煎餅の竭きし時、
ジヨンジヨンといへど還らず。
木瓜の葉は花を包みて、
山吹も今は盛りに、
靜かなる眞晝の庭、
はら/\と雀下りて、
其所此所とあさりめぐる。
明日は又雨なるべし

    初秋の歌

小夜深にさきて散るとふ稗草のひそやかにして秋さりぬらむ

植草の鋸草の茂り葉のいやこまやかに渡る秋かも

目にも見えずわたらふ秋は栗の木のなりたる毬のつばら/\に

秋といへば譬へば繁き松の葉の細く遍く立ちわたるめり

馬追虫《うまおひ》の髭のそよろに來る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし

外に立てば衣濕ふうべしこそ夜空は水の滴るが如

おしなべて木草に露を置かむとぞ夜空は近く相迫り見ゆ

からくして夜の涼しき秋なれば晝はくもゐに浮きひそむらし

うみ苧なす長き短きけぢめあれば晝はまさりて未だ暑けむ

芋の葉にこぼるゝ玉のこぼれ/\子芋は白く凝りつゝあらむ

青桐は秋かもやどす夜さればさはら/\と其葉さやげり

烏瓜《たまづさ》の夕さく花は明け來れば秋を少なみ萎みけるかも

    晩秋雜咏

     即興拾八首

芋がらを壁に吊せば秋の日のかげり又さしこまやかに射す

秋の日に干すはくさ/″\小鍋干す箒草干す張物も干す

葉鷄頭《かまつか》に藁おしつけて干す庭は騷がしくしておもしろきかも

葉鷄頭は籾の筵を折りたゝむ夕々にいやめづらしき

荒繩に南瓜吊れる梁をけぶりはこもるあめふらむとや

はら/\と橿の實ふきこぼし庭の戸に慌しくも秋の風鳴る

おしなべて折れば短くかゞまれる茶の木も秋の花さきにけり

茨の實の赤《あけ》び/\に草白む溝の岸には稻掛けにけり

黄昏の霜たちこむる秋の田のくらきが方へ鴫鳴きわたる

こほろぎははかなき虫か柊の花が散りても驚きぬべし

紅の二十日大根は綿の如なかむなにして秋行かむとす

さきみてる黄菊が花は雨ふりて濕れる土に映りよろしも

此頃は食稻《けしね》もうまし秋茄子の味もけやけし足らずしもなし

繩結ひて糸瓜を浸てし水際の落ち行く如く秋は行くめり

夜なべすと繩綯ふ人よ鍬掛の鍬の光はさやけかるかも

うつくしき籃の黄菊のへたとると夜なべしするを我もするかも

萼とればほけて亂るゝさ筵の黄菊が花はともしかゝげよ

障子張る紙つぎ居れば夕庭にいよ/\赤く葉※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]頭は燃ゆ

     蕨橿堂に寄す

杉山のせまきはざまの晩稻《おく》刈ると夕をはやみ冷たかるらむ

稻曳くに馬も持てりといはなくに妹が押す時車にかひく

白菊は稻掛けたらば亂るべし橿の木蔭は稻な掛けそね

米櫃の底が出でぬと米舂くに白くもあらじ倦むらむ時は

橿の實のいくばく落ちて日暮れよと蒿雀《あをぢ》は鳴けど杵はのどかに

棕櫚の葉を裂きて吊るらむつり柿のゆりもゆるべき杵の響か

米搗くとかゞる其手に何よけむ杉の樹脂《やに》とり塗らばかよけん

冬の日の乏しき庭の綿さねは其所はかげりぬ此所とてや干す

己妻の縫ひし冬衣は着よけむにゆきが合はずとたけが足らずと

ませ垣の黄菊白菊ならぶ如ひなびたれども其妹を背を

     戯れに香取秀眞に寄す
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秀眞氏の消息たえたること久し、人はいふ其職業に忙殺せられつゝあるなりと、氏の工場は更紗干す庭を前にして水田のほとりにあり、乃ちあたりのさまなど思ひうかべて此歌を作る。
[#ここで字下げ終わり]

更紗干す庭の螽はおのがじゝいもじ見むとてつどひ來らしき

へなつちのよごれ見まくと深田なる螽がともは蓋し來にけり

注連繩のすゝびし蔭にいそはくと煤びたらずやあたらいもじを

おろそかに庭にな立ちそ山茶花の花さへ否といひて萎まむ

芋の葉の妹もいなまむ二たびは日にはな燒けそさめけむものを

土芋もあらへば白し鑄物する人に戀ひむは浴みして後(明治四十年十月二十日)

     潮音に寄す

揖斐川の簗落つる水のとゞとして聞ゆる妻を其人は告らず

はし妻を覓《ま》ぎゝといはず云はずけど子を擧げたらば蓋し知らさむ

柿の木に掛けし梯子のけたの如いやつぎ/\に其子生まさん

こゝにして梯子のけたを子とはいふ其子の數に如かむ子もがも

竹竿に掛干す柿のつぶらかにいやつら/\に其子はあるらめ

としのはに子うみおもなみすべなけば盥の尻を手もて叩かせ

東國《あづま》にはしかぞ尻打つ盥打つ然かする時は子をうむは遠し

はた/\と盥打つ時めぐし子はたらひ/\と足らひたるべし([#ここから割り注]明治四十年十月二十八日[#ここで割り注終わり])

    暮春の歌

[#ここから6字下げ]
五月のはじめ雨の日にあひてたま/\興を催してよめる
[#ここで字下げ終わり]

さびしらに母と二人し見る庭の雨に向伏す山吹の花

山吹の花の黄染をそこらくに洗ひ落して雨ぞしき降る

もろ/\の庭の梢は雨注ぎうち搖るゝまで其葉茂れり

水つけばほとぶるものと木のうれも雨しふれゝばいやふくよかに

雨ふりて淋しき庭も※[#「耒+婁」、第4水準2−85−9]斗菜の一簇故に足らずしもなし

あらかじめ持てりし雨を悉く土にかへして春は行くめり

菜の花の乏しきみれば春はまだかそけく土にのこりてありけり

すが/\し樫がわか葉に天響き聲ひゞかせて鳴く蛙かも

車前草《おほばこ》の花がさかむとうれしとて蛙は雨にきほひてや鳴く

蛙らは皆塗り込めの畦越えて遠田こち田と鳴きめぐるらし

やはらかに茂き林が梢よりほがら/\と春は去ぬらむ

    手紙の歌
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明治四十年八月、岡麓氏予が請を容れて或事のために奔走せらる。しばらくしてその事の成就すべきよし報じこされたれば手紙をかくとて其はしに
[#ここで字下げ終わり]

我が植ゑし庭の葉鷄頭くれなゐのかそけく見えて未だ染めずも

[#ここから6字下げ]
九月にいりて消息なし。心もとなければ書きておくる
[#ここで字下げ終わり]

天の川あめを流れて、限りなく遠くしあれど、桐の木の梢に近し、其川の近く見えつゝ、遠くして音なきが如、我が待てるたより聞えず、夜に日に待てども。

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はじめ事もし成らば我が鬼怒川の鮭をおくらんと約しけるを、十月に入りて鮭の季節も末にならむとするに其事の空しからむとするを憂へて月の十九日手紙のかはりに書きておくりける
[#ここで字下げ終わり]

青笹に包みて鮭はおくらむとことしはやらず欲しといふとも

鬼怒川の鮭を欲りすといふ人はいふべき時は未だ來らず

白銀の鮭を小笹に包まひてやるべくあらば豈憂へむや

鬼怒川を晝は淀に居夜されば幾瀬の網も鮭は越すといふ

いさゝかのこと
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