長塚節歌集 中
長塚節

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鬼怒《きぬ》川

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)七袋|太子《みこ》が

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「楫+戈」、第3水準1−86−21]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 明治三十七年

    青壺集(二)

      郷にかへる歌并短歌

草枕旅のけにして、こがらしのはやも吹ければ、おもゝちを返り見はすと、たましきの京を出でゝ、天さかる夷の長路を、ひた行けど夕かたまけて、うす衾寒くながるゝ、鬼怒《きぬ》川に我行き立てば、なみ立てる桑のしげふは、岸のへになべても散りぬ、鮭捕りの舟のともしは、みなかみに乏しく照りぬ、たち喚ばひあまたもしつゝ、しばらくにわたりは超えて、麥おほす野の邊をくれば、皀莢《さいかち》のさやかにてれる、よひ月の明りのまにま、家つくとうれしきかもよ、森の見ゆらく、

     短歌

太刀の尻さやに押してるよひ月の明りにくれば寒しこの夜は

     人々のもとにおくりける歌
    一
いにしへのますら武夫も妹にこひ泣きこそ泣きけれその名は捨てず

世の中は足りて飽き足らず丈夫の名を立つべくは貧しきに如かず
    二
沖の浪あらし吹くとも蜑小舟おもふ浦には寄るといはずやも

葦邊行く船はなづまず沖浪のあらみたかみと※[#「楫+戈」、第3水準1−86−21]とりこやす
    三
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明治三十五年の秋あらし凄まじくふきすさびて大木あまた倒れたるのちさま/″\の樹木に返りざきせしころ筑波嶺のおもてに人をたづねてあつきもてなしをうけてほどへてよみてやりける歌
[#ここで字下げ終わり]

いづへにか蕗はおひける棕櫚の葉に枇杷の花散るあたりなるらし

苦きもの否にはあれど羹にゝがくうまけき蕗の薹よろし

くゝたちの蕗の小苞《をばかま》ひた掩ひきのおもしろき蕗の小苞

秋まけて花さく梨の二たびも我行けりせば韮は伐りこそ

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明治三十五年秋十月十六日、常毛二州の境に峙つ國見山に登りてよめる歌二首
[#ここで字下げ終わり]

茨城は狹野にはあれど國見嶺に登りて見れば稻田廣國

國尻のこの行き逢ひの眞秀處にぞ國見が嶺ろは聳え立ちける

    松がさ集
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なにをすることもなくてありけるほど鎌もて門の四つ目垣のもとに草とりけることありけり。近きわたりの子供二人垣のもとにいよりて物もいはずしてありけり。我れ、この鎌もて汝等が頭斬りてむと思ふはいかにといへば、大きなるが八つばかりになりけるが、訝かしげなる面貌にて否といふ。我れ汝らが頭きらむといふはよきかうべにして素の形につけえさせむと思ふにこそといへば、いよ/\訝しみ駭けるさまにて命死なむことの恐ろしといひて垣のもととほぞきて唯否とのみいひけり。小さなりけるは四つばかりになりけるが、そは飯粒《いひぼ》もてつくるにやとこれもいたくおどろけるさまにてひそやかにいひいでけり。腹うち抱へられて可笑しさ限りなかりき。罪ある戯れなりかし。メンチといふものを玩ぶとて常に飯粒もてつけ合せけるよし母なるものゝきゝて笑ひつゝかたりけり。
[#ここで字下げ終わり]

利鎌もて斷つといへどももとほるや蚯蚓の如き洟垂るゝ子等

みゝず/\頭もなきとをもなきと蕗の葉蔭を二わかれ行く

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秀眞子ひとり居の煩しきをかこつこと三とせばかりになりけるが、このごろうら若き女のほの見ゆることあるよしいづこともなく聞え侍れば、彼れ此れとひたゞせどもえ辨へず。その眞なりや否やそは我がかゝつらふところに非ず。我は歌をつくりてこれを秀眞がもとにおくる。秀眞たるもの果して腹立つべきか、またはうち笑ひてやむべきか、只これ一時の戯れに過ぎざるのみ、歌にいはく
[#ここで字下げ終わり]

萬葉の大嘘《おほをそ》烏をそろ/\秀眞《ほつま》がやどに妻はあらなくに

ひとりすむ典鑄司《いもじ》あはれみ思へれば妻覓ぎけるか我が知らぬとに

商人の繭買袋かゝぶらせ棚に置かぬに妻隱しあへや

鷸の嘴かくすとにあらじ妻覓ぐとつげぬは蓋し忘れたりこそ

唐臼の底ひにつくる松の樹の妻を待たせて外にあるなゆめ

馬乘りに鞍にもたへぬ桃尻《もゝじり》の尻据らずば妻泣くらむぞ

粘土を溲《こ》ねのすさびにかゞる手を見せて泣かすなそのはし妻を

あさな/\食稻《けしね》とぐ手もたゆきとふはし妻子らを見せずとかいはむ

      尾張熱田神宮寶物之内七種

眞熊野の熊野の山におふる樹のイマメの胴のうづの※[#「(口+口)/田/一/黽」、147−3]《だ》太鼓

天飛ぶや鵄の尾といひ世の人のさばの尾ともいふ朱塗《あけぬり》の琴

瀬戸の村に陶物燒くと眞埴とりはじめて燒きし藤四郎が瓶

瀬戸物のはじめに燒きしうすいろの鈍青色の古小瓶六つ

春の野の小野の朝臣がみこともち仕へまつりし春敲門の額

熱田のべろ/″\祭べろ/″\に振らがせりきといふ兆鼓《ふりつゞみ》

大倭國つたからにかずまへる納蘇利《なつそり》崑崙八仙の面

尾張のや國造の宮簀媛けせりきといふ玉裳御襲

      大阪四天王寺什物之内四種

廏戸の皇子の命の躬《みづか》らつゞれさゝせる糞掃衣これ

物部の連守屋を攻めきとふ鏑矢みれば悲しきろかも

御佛の守の袋七袋|太子《みこ》がもたしゝその七袋

廏戸の皇子がかゝせる十あまり七條憲法《なゝおきてぶみ》見るがたふとさ

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明治三十六年七月我西遊を企つるや、格堂に約するに途必ず備前に至らむことを以てす、しかも足遂に大阪以西を踏むに及ばず、頗る遺憾となす、九月格堂遙に書を寄せて我が起居を問ふ、應へず、十一月下旬具さに怠慢の罪を謝して近況を報ず、乃ち兒島の地圖を披きて作るところの短歌五首之をその末尾に附す、歌に曰く
[#ここで字下げ終わり]

おほ地の形の刷り巻ひらきみれば吉備の兒島は見えの宜しも

なぐはしき苧環草のこぼれ葉ににるかもまこと吉備の兒島は

眞金吹く吉備の兒島は垂乳根の母が飼ふ兒のはひいでし如

燒鎌の利根のえじりと瀬戸の海と隔てもなくばしきかよはむに

茅渟の海や淡路のみゆる津の國へ行きける我や行くべかりしを

    時は來れり

ひた待ちし時今來たり眞鐵なす腕振ふべき時今來たり

大君の民にしあれば常絶えず小鍬とる身も軍しに行く

小夜業に繩は綯ひしを大君の御楯に立つか召しのまに/\

ますら男は軍に出づも太腿をいかし踏みしめ軍に出づも

おもちゝも妻も子供も大君の國にしあるを思ひおく勿れ

妻の子はおほに思ふな時に逢ひて大御軍に出づとふものを

隱さはぬますら健夫や大君の召しのたゞちに軍に出づも

うなし毛ゆ脚のうら毛も悉く逆立つ思ひ振ひて立たむ

いけるもの死ぬべくあるを大君の軍に死なば本懷《おもひ》足りなむ

しましくもいむかふ軍猶豫はゞ思へよ耻の及くものなきを

迦具土のあらぶるなして忽ちに拂ひ竭さむ夷の限り

恨積む夷をこゝに討たずしてなにするものぞ日本軍は

御軍の捷ちの知らせを隙も落ちず待ちつゝ居れば腕鳴り振ふ

    衣

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アイヌが日常の器具などを陳列せるを見てよめる歌三首
[#ここで字下げ終わり]

アイヌ等がアツシの衣は麻の如見ゆ うべしこそ樹の皮裂きて布は織るちふ

アイヌ等がアツシの衣冬さらば綿かも入るゝ蒲のさ穗かも

アイヌ等は皮の衣きて冬獵に行く 鮭の皮を袋にむきし沓はきながら

    くさ/″\の歌

     榛の木の花をよめる歌

つくばねに雪積むみれば榛の木の梢寒けし花はさけども

霜解のみちのはりの木枝毎に花さけりみゆ古殻ながら

はりの木の花さく頃の暖かに白雲浮ぶ空のそくへに

田雀の群れ飛ぶなべに榛の木の立てるも淋し花は咲けども

煤火たきすしたるなせどゆら/\に搖りおもしろき榛の木の花

はりの木の皮もて作る染汁に浸てきと見ゆる榛の木の花

榛の木の花咲く頃を野らの木に鵙の速贄《はやにへ》はやかかり見ゆ

はりの木の花さきしかば土ごもり蛙は啼くも暖き日は

稻莖の小莖がもとに目堀する春まだ寒し榛の木の花

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稻ぐきのもとなどに小さなる穴のあるを堀り返して見れば必ず鰌の潛み居るを人々探り出でゝはあさるなり、これは冬の程よりすることなるが目堀とはいふなり。
[#ここで字下げ終わり]

     春季雜咏

淡雪の楢の林に散りくれば松雀が聲は寒しこの日は

筑波嶺に雪は降れども枯菊の刈らず殘れるしたもえに出づ

淺茅生の茅生の朝霜おきゆるみ蓬はもえぬ茅生の淺茅に

枝毎に三また成せる三椏《みつまた》の蕾をみれば蜂の巣の如

春雨のふりの催ひに淺緑染めいでし桑の藁解き放つ

    海底問答

二月八日の眞夜中より
九月にかけて旅順の沖に
砲火熾に交れば、
千五百雷鳴り轟き
八千五百蛟哮え猛び、
世界は眼前に崩壞すべく
思ふばかり凄じかりき。
碧を湛へし海水に、
快げに、遊泳せる鱗《うろくづ》は、
鰭の運動も忙しく、
あてどもなく彷徨ひぬ。
昆布鹿尾菜のゆるやかに
搖れつゝあるも、喫驚と
恐怖のさまを表明せり。
かゝりしかば海の底に、
うち臥し居たる骸骨ども、
齊しくかうべを擡げながら、
うつろの耳を峙てしが、
ばら/\に散亂せる白骨を
綴り合せむと、遽しく
手の骨を探すもの、
脚の骨を探すもの、
頭蓋骨を奪ひあふもの、
混亂の状を呈せし後、
ゆるやかに動搖する水のまにま、
ふら/\として立ちあがり、
物待ちげのさまなり。
偵察に出でし骸骨は、
昆布の根をば力草に、
骨と骨との離るゝまで
ゆき戻りきつ怪しきものゝ
落ち來りたるを報告せり。
導かるゝ儘に骸骨は、
ふら/\として隨ひ行けば、
そこにあらたしき死屍ありて、
顔もわかぬまで焦げ煤けし、
肉破れ骨のあらはなる、
腥きばかりならびたり
骸骨は、うち寄りて肩を抑へつゝ
『白杳なる容貌に、棕櫚の毛を
植ゑしが如き鬚もてる
君はいづこよ來りしぞ。
この騷擾に關係あらむ、
語れ。』と促しかけたれど、
應へもなきをもどかしげに、
『さらば我まづ語らむ。』と
言ひ放ちて、顎の骨の
歪みたるをおし直し、
『我等はもと旅順にありて、
只管天險の比なきを恃み、
黄海の水あせぬとも
この戌陷るべからずと
心竊に驕りしに、
料らず背面の攻撃にあひ、
遁ぐべき路を失ひて
悉く海に溺れ果てぬ。
そをいまの事に思ひしに、
はや十年の月日は經ぬ。
まこと海底にすまひすれば、
寒暑はさらに辨へざりき。』
かくいひてとりおとせる
肋骨を拾ひ揚げながら、
『波打際に浮き寄りしは、
想ふに土中に葬られむ、
我等はすなはち海の底に
白骨となりぬ。然れども
我が安心を人は知らず。
骸骨は命死なず。
骸骨は飢うることなく、
睡眠を欲せず。病を知らず。
未來永劫にかくの如く、
敵の迫害にあふこともなし。
樂しからずや骸骨は。』
いひさして骸骨はまた
『いづこより來しぞ、語れ、君、
昨夜よりの騷擾を、
はや語れ。』と搖り動すに、
死屍は口を開かむとすれば、
海水忽ち入り塞ぎて、
苦しげなるを、骸骨は
『陸上に在りしと海中とは、
すべて自ら異れり、
さればしづかに物いふべし。
只骸骨は自在なり。
骸骨の構造は海にありて、
すべての運動に適したり。』
死屍はすなはち徐ろに、
『我は[#「『我は」は底本では「我は」]露西亞の水兵なり。
昨夜旅順の港外にて、
恢復の見込なきまでに
我が軍艦は撃ち破られ、
我等も見るが如くなりぬ。
談話の苦しきこと限りなし、
その他はすべて想像せられよ。』
やうやくこれをいひ畢れば、
『状況はほゞ知悉せり。
されど露西亞は強國なるに
脆からずや。』と訝り問へば、
『我等が國
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