を強國といへど、
恫喝を以て誇るのみ、
世界の人怯懦にして、
我が暴戻を制せむとせず。
義憤にあへばかくの如し。』
骸骨は首肯きて、
『我等も嘗て世界を欺き、
眠れる獅子といひ觸しゝが、
假面はつひに剥がれたり。
弱きものと弱きもの、
君等と我等と睦び居らむ。
我もむかしは孔雀の尾を
飾りし軍帽嚴しく、
尖のひらきたる劔を握り、
進むには必ずしりへに立ち、
退くにはさきに立ちたりしが、
かく骸骨となりたれば、
孰れを孰れと分き難し。
まこと貴賤も貧富もなき
自由平等の樂天地は、
はじめて茲に發見すべし。』
死屍は聞きて嬉しげに、
『好誼ある君達かな。
さらば我も語るべし、
稍物いふに馴れしごとし。
我が艦隊の長官は、
白銀の如く輝きたる
二尾の髯を胸に垂れ、
風采すぐれし老將なれど、
昨夜夫人の誕辰に會ひ、
部下を率ゐて市街に上り、
觀劇に耽りしその隙に、
あはれ突撃を蒙りぬ。
我等もさまで弱きにあらねど、
敵の勁きこと比なきなり。』
骸骨は珍らしき物語を聞き、
『君語れ、またさらに語れ、
我等はもと酒煽り、
婦女子を捉へ辱めしが、
いま無欲なる骸骨となりては、
徒にそを悔い居るなり。』
死屍は意を得しさまに、
『我等が好みもかくのごとし。
強姦奪掠憚らねば、
市街の商人は武裝して、
我が暴行を防がむとす。
されど君責むる勿れ。
我等が一ヶ月の給料は、
好める露酒の一瓶を、
傾け盡すにも足らざるを。』
骸骨は話頭を轉じ、
『たま/\潮の滿干により、
陸地近く行きみれば、
旅順の砲臺は露西亞の手に
經營されし如くなれど、
防備は寸隙もあらざるや。』
『我が恫喝の特性は、
こゝにもよく顯れたり。
兵粮の運輸乏しきに、
兵勇もさまでおほからず。』
骸骨は小首を傾け、
『憐むべし、陸上の兵はまた
我が運命の如くならむ。』
骸骨のいひも竭きざるに、
死屍は脣なほ青褪め、
『さらばわれ守備の兵に
はやく告げて去らしめむ。』と
鹹水なればかろ/″\と
死屍は泛びあがりしが、
少時にしてまたもどりぬ。
骸骨はみな齊しく、
『水に沈みし者時をふれば、
一たび必ず浮べども、
死屍は再び人間に
還ること叶はぬなり。
人間の死を恐るゝは、
骸骨の慰安を知らねばこそ。
我が腦膸は空虚なれば、
思慮も考察も公平なり。』
死屍は未だ骸骨の言を
了解しえぬさまなれど、
感謝の意を以て握手せしが、
俄に眉をうち顰め、
『いかに痛きものぞ。君が手は、』
骸骨は思はず失笑し、
『柔かき手もて握れる故、
我等が手は痛からむ。
されば君記憶せよ。
一日過ぎなば君が手は
ふとしくならむ、その時は
骸骨はなほ痛からむ。
二日過ぎ三日過ぎなば、
さらにふとしく、更にまた
痛かるべし。それよりは
體躯はます/\糜爛して、
癩病の如く見ゆるならむ。
魚族は爭ひてつゝきはじめむ。
かく唯白骨とならば、
君が衣服をつけしさまは
いかに不思議に見ゆべけむ。
その時よりぞ骸骨の
眞味を解しはじむべき。』
うち語りて骸骨は
『陸上の兵遠からず
あと追ひこむ。それまでは
こゝろしづかに待ち居らむ。
骸骨は世に拘らず。』と
いひ畢りて素のごとく、
死屍横はる傍に、
ばら/\になりて打ち臥しぬ。

    くさ/″\の歌

     滿洲

落葉松《からまつ》と樅とをわかず、はひ毛虫林もむなに、喫み竭し枯らさむときに、鵲はい群れて行きぬ。海渉りゆきぬ。

     馬賊 [#ここから割り注]馬賊は魯の仇敵なり劉單子はその統帥にしていま長白山中に匿るといふ[#ここで割り注終わり]

白橿の落葉散り、散りみだれど掃く人なみ、我たち掃く劉單子劉單子、箒伐り木を伐り持ちこ。掻き掃きて川にながさむ、ながさむを見に來。

     旅順

をぢなきや嚢の鼠、ふくろこそ噛みてもやれめ、そびらには矛迫め來、おもてには潮沫湧く、穴ごもり隱らむすべも、術なしにあはれ。

     韓國

栲衾新羅の埼の、あまり埼、いひき持ち來、悉に引かざりしかば、常たえずさへぐ韓國。ことなぎむいま。

     樺太

阿倍比羅夫楯つきなめ、艤ひゆきしかばふと、鰭つ物いむれてあれど、我獲ねば人とりき。いまよりは海の眞幸も、我欲りのまゝ。

     雜咏十六首

足曳のやつ田のくろの揚げ土にほろ/\落る楢の木の花

鋸の齒なす諸葉の眞中ゆもつら抽きたてるたむぽゝの花

春の田を耕し人のゆきかひに泥にまみれし鼠麹草《はゝこくさ》の花

うつばりの鼠の耳に似たる葉のたぐひ宜しきその耳菜草

あら鋤田のくろの杉菜におひまじり黄色にさけるつる苦菜《にがな》の花

鍋につく炭掻きもちてこゝと塗りたれ戯れのそら豆の花

春雨の洗へど去らずそら豆のうらわか莢の尻につくもの

筑波嶺のたをりの路のくさ群に白くさきたる一りむさうの花

藪陰のおどろがさえにはひまどひ蕗の葉に散る忍冬の花

きその宵雨過ぎしかば棕櫚の葉に散りてたまれるしゆろの樹の花

よひに掃きてあしたさやけき庭の面にこぼれてしるき錦木の花

かはづなく水田のさきの樹群にししら/\見ゆる莢※[#「くさかんむり/二点しんにょうの「迷」、第4水準2−86−56]《がまずみ》の花

袷きる鬼怒の川邊をゆきしかばい引き持てこしみやこぐさの花

いちじろくほに抜く麥にまつはりてありなしにさく猪殃々《やへむぐら》の花

暑き日の照る日のころとすなはちにかさ指し開く人參の花

筑波嶺のみちの邂逅《ゆきあひ》にやまびとゆ聞きて知りたるやまぶきさうの花

     反古一片

[#ここから6字下げ]
明治三十六年八月八日の夕暮に伊勢の山田につく、九日外宮より内宮に詣づ、目にふるゝ物皆たふとく覺ゆるに白丁のほのめくを見てよめる歌三首
[#ここで字下げ終わり]

かしこきや神の白丁《よぼろ》は眞さやけき御裳濯川に水は汲ますも

白栲のよぼろのおりて水は汲む御裳濯川に口漱ぎけり

蘿蒸せる杉の落葉のこぼれしを白丁はひりふ宮の垣内に

[#ここから6字下げ]
この日、鳥羽の港より船に乘りて熊野へ志す、志摩國麥崎といふをあとに見てすゝむ程に日は山のうしろに沈みぬ、このとき文※[#「魚+搖のつくり」、第4水準2−93−69]魚《とびのうお》というものゝとぶこと頻りなればよみける歌のうち三首
[#ここで字下げ終わり]

大和嶺に日が隱ろへば眞藍なす浪の穗ぬれに文※[#「魚+搖のつくり」、第4水準2−93−69]魚の飛ぶ見ゆ

眞熊野のすゞしき海に飛ぶ文※[#「魚+搖のつくり」、第4水準2−93−69]魚の尾鰭張り飛び浪の穗に落つ

おもしろの文※[#「魚+搖のつくり」、第4水準2−93−69]魚かも※[#「楫+戈」、第3水準1−86−21]枕これの船路の思ひ出にせむ

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戯れに萬葉崇拜者に與ふる歌并短歌
[#ここで字下げ終わり]

筑波嶺の裾曲の田居も、葭分になづみ漕ぎけむ、いにしへに在りけることゝ、あらずとは我は知らず、おそ人の物へい往くと、獨往かば迷ひすの、二人しては往きの礙《さは》らひ、妻の子が心盡して、籾の殼そこにしければ、踏みわたる溝のへにして、春風の吹きの拂ひに、籾の殼水に泛きしを、そこをだに超えてすゝむと、我妹子が木綿花つみて、織りにける衣も濡れて、泥にさへいたく塗れて、泣く/\にかへらひにける、おそ人とこを聞く人の、豈嗤はざれや(三十七年六月)

      短歌

萬葉は道の直道然れども心して行けおほにあらずして

萬葉は兒の手柏の二面に三面四面に八|面《おもて》に見よ

藍染の衣きる人は藍の如ひいでむとこそ心はあるらめ

筍のひでもひでずも萬葉の閾を超えて外に出でざめや

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明治三十七年一月三十一日長妹とし子一女を擧ぐ、長歌一篇を賦しておくる、篇中の地はとし子が居住に接せり、歌に曰く
[#ここで字下げ終わり]

朝月の敏鎌つらなめ、馬草刈りきほふ處女の、朱の緒の笠緒の原の、したもえの春さりあへず、やすらけくあれし女の子は、垂乳根の母が乳房を、時なくと含む脣、脣のつゝめる奥に、飯粒《いひぼ》なす白齒かそけく、足手振り笑むらむさまを、家こぞり待つらむものぞ、はや大にあれ。

      反歌
小夜泣きに兒泣くすなはち垂乳根の母が乳房の凝るとかもいふ

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花崗岩といふものは譬へば石のなかの丈夫なり、筑波につづく山々はなべてこの石もて成る(三十七年六月)
[#ここで字下げ終わり]

天の御影地の御影と天地の神の造りし石の名なるべし

筑波嶺ゆつゞく長山短山天の御影になりのよろしも

    夏季雜咏

     其一

さみだれの降りもふらずも天霧らひ月夜少なき夏蕎麥の花

なつそばのはなに白める五月雨の曇月夜にふくろふの啼く

干竿に洗ひかけほす白妙の衣のすそのたち葵の花

あさ霧の庭をすゞしみ落葉せる樒がもともたち掃きにけり

にほとりの足の淺舟さやらひにぬなはの花の隱《こも》りてをうく

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やまべといふうをの肉も骨も一つにやはらかなるは五月雨のふりいづるまでのことなり
[#ここで字下げ終わり]

鬼怒川の堤におふる水蝋樹《いぼたのき》はなにさきけりやまべとる頃

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やまべは網してとり、鯔《ぼら》は糸垂れてとる
[#ここで字下げ終わり]

忍冬の花さきひさに鬼怒川にぼら釣る人の泛けそめし見ゆ

     即事

鬼怒川の高瀬のぼり帆ふくかぜは樗の花を搖らがして吹く

     其二

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七月十一日といふより十日が程は全くくふ物を斷ちて水ばかり飲みて打ち過しけり、幼き時より胃のわづらひを癒さむとての企なり。素よりいえなむ日までと思ひ立ちたるなりければ、いつを畢りと豫ねてえ定むべくもあらずと
[#ここで字下げ終わり]

葉がくりになる南瓜のおぼろには目にみえぬごとおくが知らずも

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辰巳のかぜふきて雨のふりつゞきければ鬼怒川いたくまさりて濁れる、水豆の畑にも越えたりなどいふをきゝて
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よごれたるおどろがなかに鴨跖草《つゆぐさ》の花かもさかむ水ひきていなば

鴨跖草の花のさくらむ鬼怒川の水のあと見にいつかまからむ

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こゝろ計りは慥なれども、脚に力なければ、頓にたゝむとすれば目くるめくこともあり、おほかたは打ち臥す。藪の中にさきたりけるとて百合の花をもて來てくれければ
[#ここで字下げ終わり]

さゆりばな我にみせむと野老蔓《ところづら》からみしまゝに折りてもち來し

白埴の瓶によそひて活けまくはみじかく折りし山百合の花

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いたく欲しとにはあらねど人の物くふをみればうまげなるも片腹いたきおもひするに、まだきにやまべの串をもてきて呉れたるを
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鬼怒川のやまべ燒串うまけれどこゝろなの人やけふ持ちて來し

鬼怒川の夏涸水のぬるき瀬にやまべとるらむみにも行かめど

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暑さはげしければ、いづこも明け放ちてやすらふ、夏蕎麥の幹うつとて下部の庭にたちて振まふをうちながめつゝ
[#ここで字下げ終わり]

柄臼を横さにたてゝうつ蕎麥のこぼれて飛ぶをみつゝおもしろ

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をちこちに麥うつおと頻りにきこゆるに
[#ここで字下げ終わり]

となりやに麥はうてども藪こえて埃もこねばおもしろに聞く

連枷《からさを》のとゞろ/\に挨たて麥うつ庭の日車の花

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日のうちは暑さに疲れをおぼゆれども、くれ近くなればいさゝか出でありくことあり、
[#ここで字下げ終わり]

たま/\にたち出でゝみれば花ながら胡瓜のしりへゆがまひて居り

眞日の照り日の照るなべにさぶしらに胡瓜の黄葉おちにけるかも

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はや土用にもいりたるに、再びすともいまはやめよと切なるすゝめに止むなくして二十一日の夜はじめて物くふ、二日ばかりして車に乘りていでありく、
[#ここで字下げ終わり]

いくばくも未だへなくに葉が
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