居てうぐひすの啼く

蕷《いも》の蔓枯れてかゝれる杉垣に枝さし掩ひ梅の花白し

鬼怒川の篠の刈跡に柔かき蓬はつむも笹葉掻きよせ

淡雪のあまた降りしかば枇杷の葉の枯れてあり見ゆ木瓜のさく頃

槲《かしは》木の枯葉ながらに立つ庭に繩もてゆひし木瓜あからみぬ

枳殼の眞垣がもとの胡椒の木花ちりこぼれ春の雨ふる

春風の杉村ゆすりさわたれば雫するごと杉の花落つ

桑の木の藁まだ解かず田のくろにふとしくさける蠶豆の花

鬼怒川の堤の水蝋樹《いぼた》もえいでゝ簇々さけり黄花の薺

桑の木のうね間/\にさきつゞく薺に交る黄花の薺

さながらに青皿なべし蕗の葉に李は散りぬ夜の雨ふり

山椒の芽をたづね入る竹村にしたごもりさく木苺の花

樫の木の木ぬれ淋しく散るなべに庭の辛夷も過ぎにけるかも

木瓜の木のくれなゐうすく茂れゝば雨は日毎にふりつゞきけり

我が庭の黐の落葉に散り交るくわりむの花に雨しげくなりぬ

    房州行

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五月廿二日家を立つ、宿雨全く霽れる、空爽かなるにニンニン蝉のやうなる聲頻りに林中に聞ゆ、其聲必ず松の木に在るをもて人は松に居る毛虫の鳴くなりといふ
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うらゝかに楢の若葉もおひ交る松の林に松蝉の鳴く

青芒しげれるうへに若葉洩る日のほがらかに松蝉の鳴く

莢豆《さやまめ》の花さくみちの静けきに松蝉遠く松の木に鳴く

松蝉の松の木ぬれにとよもして袷ぬぐべき日も近づきぬ

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二十三日、外房航路船中
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安房の國や長き外浦の山なみに黄ばめるものは麥にしあるらし

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二十四日、清澄の八瀬尾の谷に炭燒を見に行く
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清澄のやまぢをくれば羊齒交り胡蝶花《しやが》の花さく杉のしげふに

樟の木の落葉を踏みてくだり行く谷にもしげく胡蝶花の花さく

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二十五日、清澄に來りてより毎夕必ず細く長く耳にしみて鳴く聲あり、人に聞くに蚯蚓なりといふ、世にいふ蚯蚓にもあらず、蚯蚓の鳴かぬは固よりなれど、唯之を蚯蚓の聲なりとして、打ち興ぜむに何の妨げかあらむと
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清澄の胡蝶花の花さく草村に夕さり毎に鳴く聲や何

虎杖のおどろがしたに探れども聲鳴きやまず土ごもれかも

山桑を求むる人の谷を出でかへる夕に鳴く蚯蚓かも

胡蝶花の根に籠る蚯蚓よ夜も日もあらじけむもの夜ぞしき鳴く

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二十八日、清澄の谷に錦襖子《かじか》を採りてよめる歌八首のうち
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萱わくるみちはあれども淺川と水踏み行けばかじか鳴く聲

黄皀莢《さるかけ》の花さく谷の淺川にかじかの聲は相喚びて鳴く

鮠の子の走る瀬清み水そこにひそむかじかの明かに見ゆ

我が手して獲つるかじかを珍らしみ包みて行くと蕗の葉をとる

かじか鳴く谷の茂りにおもしろく黄色つらなる猿かけの花

さるかけのむれさく花はかじか鳴くさやけき谷にふさはしき花

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二十九日
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蒼海原雲湧きのぼりひた迫めに清澄山に迫め來る見ゆ

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八瀬尾の谷に日ごと炭燒く人をおとづれてよみし歌のうち一首
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こと足りて住めばともしも作らねど山に薯蕷堀る谷に蕗採る

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三十日、清澄山を下りて小湊を志す、天津の町より道連になりたる若き女は漁夫の妻なりといふ、十里ばかり北の濱より濱荻といふ所にかしづきて既に四とせになれど子もなくて只管に夫を手依りしものゝ、夫は補充兵として横須賀に召集せられむとす、夫の歸らむまでは江戸の舊主のもとをたづねて身をつつしみ居らむと思へど二人が胸には餘りたれば今は故郷なる父母に咨らむとて行くなりといふ。其言惻々として人を動かす、東京といはずして江戸といふ、何ぞ其朴訥なるや、朴訥なるものは世情を知らず、世情を知らざれば則ち悲しむこと多きなり。乃ち彼が心に代りて作れる歌十首のうち
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松魚釣あるみにやりて嘆かぬをいくさといへば心いたしも

清澄の隱るゝ沖に嵐吹き歸らぬ人もありとは思へど

我が背子と夜床に泣けば思ふことかたみいひえず胸には滿つれど

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小湊誕生寺の傍より舟を傭ひて鯛の住むといふ海を見に行きて作れる歌のうち
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妙の浦こゝだも鯛のよる海と鵜の立つ島をさしてぞ漕ぎ來し

海人の子の舷叩き餌をやれば鰭振る鯛のきらゝかに見ゆ

磯※[#「さんずい+和」、第4水準2−78−64]のよろしき日にも鯛のよる貽貝《いがひ》が島は波うちしぶく

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磯傳ひに南のかたへ志して行く
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濱荻の網干す磯ゆ遠くみるあられ松原人麥を打つ

濱荻の磯過ぎくれば麥づくり鎌には刈らず根こじ手に曳く

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和田附近
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あたゝかき安房の外浦は麥刈ると枇杷もいろづくなべてはやけむ

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卅一日、まだきに七浦のやどりを立つ
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人參の花さく濱の七浦をまだきに來れば小雨そぼふる

すひかづら垣根に淋し七浦のまだきの雨に獨り來ぬれば

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野島が崎に至る、巨巖のすき間/\に只さら/\と波のよせ返すのみ、干潮なれば常はえ至るまじき巖のもとをも窺ふ
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おもひこし濤は見なくに異草を野島が崎の巖の間に摘む

白濱の野島が崎の松蔭に芝生に交るみやこぐさの花

巨巖のうへ偃ふ松の静けきに雀が來鳴き雨霽れわたる

濱萬年青しげれる磯をさし出の野島が崎は見えのよろしも

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根本濱遠望
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伊豆の海や見ゆる新島三宅島大島嶺は雲居棚引く

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布良
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布良《めら》の濱かち布刈る女が水を出で妻木何焚く菜種殼焚く

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館山灣
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萍の菱の白花々々と小波立てり海平らかに

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六月一日、館山灣の北を扼する大房の岬に遊ぶ
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かさご釣る磯もしづけみ頬白の鳴くが淋しきこれの遠崎

おもしろき岬の松の繩繋ぎ犢の牛に草飼ふところ

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二日、孝子塚を見る、孝子は名を伴家主といふ、父母の歿後その像を刻みて之に仕ふること生けるが如く終身渝ることなし、朝廷嘉賞して租税を免ず、事は仁明天皇の承和年間に係る、爾來一千年此郷の士人碑を國分寺に建てゝ之を頌す、近年復た萱野の地に建碑の擧あり、刻むに菊池容齋描く所の伴家主の像を以てせり。
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茅花さく川のつゝみに繩繋ぐ牛飼人に聞きて來にけり

いにしへもいまも同じく安房人の誇りにすべき伴家主《あたへぬし》これ

伴家主おやを懷ひし眞心は世の人おもふ盡くる時なく

うらなごむ入江の磯を打ち出でゝおやにまつると鯛も釣りけむ

父母のよはひも過ぎて白髪の肩につくまで戀ひにけらしも

麥つくる安房のかや野の松蔭に鼠麹草《はゝこ》の花はなつかしみ見つ

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三日、汐見途上
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濱苦菜ひたさく磯を過ぎ來ればかち布刈り積み藁きせて置く

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四日、那古の濱より汽船に乘る、知り人の子等四人甲斐甲斐しく渚まで見送りす、一人は人に負はれ、一人はまだ學齢に滿たざれど歩みて來る、此の子畫を描くを好みて常に左の手のみを用ふ、心うれしきまゝに後に母なる人のもとへよみておくりし歌のうち二首
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青梅と雀と描きし左手に書持つらむか復た逢ふ時は

負はれ來し那古《なご》の砂濱ひとり來て濱鼓子花《はまひるがほ》を摘まむ日や何時

    炭燒くひま
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春の末より夏のはじめにかけて炭竈のほとりに在りてよめる歌十三首のうち
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積みあげし眞木に着せたる萱菰に撓みてとゞく椶櫚の樹の花

炭がまを焚きつけ居れば赤き芽の柘榴のうれに没日さし來も

芋植うと人の出で去れば獨り居て炭燒く我に松雀《まつめ》しき鳴く

炭竈の灰|篩《ふる》ひ居れば竹やぶに花ほの白しなるこ百合ならむ

槲木《かしはぎ》のふさに垂りさく花散りて世の炭がまは燒かぬ此頃

炭がまを夜見にゆけば垣の外に迫るがごとく蛙きこえ來

炭がまを這ひ出てひとり水のめば手桶の水に樫の花浮けり

廐戸にかた枝さし掩ふ枇杷の木の實のつばらかに目につく日頃

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少弟整四郎四月二十九日を以て征途に上る曰く、自ら訓練せる小隊を率ゐるなりと、予妹二人を伴ひて下野小山の驛に會す、彼等三人相逢はざること既に數年、言なくして唯怡然たり、短歌五首を作りて之を送る
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大君の御楯仕ふる丈夫は限り知らねど汝をおもふ我は

我が庭の植木のかへで若楓歸りかへらず待ちつゝ居らむ

淺緑染めし樹群にあさ日さしうらぐはしもよ我がますら男は

竹棚に花さく梨の潔くいひてしことは母に申さむ

おぼろかに務めおもふな麥の穗の秀でも秀でずも問ふ所に非ず

    雜詠八首のうち

篠の葉のしげれるなべに樒さき淋しき庭のうぐひすの聲

新墾の小松がなかに作りたる三うね四うねの豌豆の花

青葱の花さく畑の桃一樹しげりもあへず毛虫皆喰ひ

桑の木の茂れるなかにさきいでゝ仄かに見ゆる豌豆の花

    行々子の歌
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六月なかば左千夫氏の來状近く山百合氏の來るをいふ、且つ添へていふ、庭前の槐に行々子頻りに鳴くと、兩友閑談の状目に賭るの思あり、乃ち懷をのべて左千夫氏に寄す
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垣の外ははちす田近み慕ひ來て槐の枝に鳴くかよしきり

あしむらに棲める葭剖いかさまに槐の枝に止まりて鳴くらむ

竪川の君棲む庭は狹けれど葭剖鳴かば足らずしもあらじ

五月雨のけならべ降るに庭の木によしきり鳴かば人待つらむか

栗の木の花さく山の雨雲を分けくる人に鳴くかよしきり

みすゞ刈る科野の諏訪は湖に葭剖鳴かむ庭には鳴かじ

稀人を心に我は思へども行きても逢はず葭剖も聞かず

我が庭の杉苔がうへを立ち掃くとそこなる庭の槐をぞおもふ

    諏訪の短歌會 第一會
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九月五日、地藏寺に集る、同人總べて五、後庭密樹の間には清水灑々として石上に落ち、立つて扉を押せば諏訪の湖近く横りて明鏡の如し、此清光を恣にして敢て人員の乏しきを憂へず、題は秋の田、蜻蛉、殘暑、朝草刈
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秋の田のかくめる湖の眞上には鱗なす雲ながく棚引く

武藏野の秋田は濶し椋鳥の筑波嶺さして空に消につゝ(道灌山遠望)

※[#「頭のへん+工」、第4水準2−88−92]豆《さゝげ》干す庭の筵に森の木のかげる夕に飛ぶ赤蜻蛉

水泡よる汀に赤き蓼の穗に去りて又來るおはぐろ蜻蛉

秋の日は水引草の穗に立ちて既に長けど暑き此頃

科野路は蕎麥さく山を辿りきて諏訪の湖邊に暑し此日は

秣刈り霧深山をかへり來て垣根にうれし月見草の花

    同第二會
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七日、布半の樓上に開く、會するもの更に一人を減ず、題は秋の山、霧、灯、秋の菓物
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杉深き溪を出で行けば草山の羊齒の黄葉に晴れ渡る空

鹽谷のや馬飼ふ山の草山ゆ那須野の霧に日のあたる見ゆ(下野鹽原の奥)

山梨の市の瀬村は灯ともさず榾火がもとに夜の業すも(多摩川水源地)

瓜畑に夜を守るともし風さやり桐の葉とりて包むともし灯

黄葉して日に/\散ればなり垂れし庭の梨の木枝の淋しも

二荒山いまだ明けねば關本の圃なる梨は露ながらとる

    羇旅雜咏
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八月十八日、鬼怒川を下りて利根川に出づ、濁流滔々たり、舟運河に入る、
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利根川や漲る水に
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