余は實際能を見たのは生來此の日がはじめてゞある。然かもかういふ孤島の僻邑に能の催しがあらうなどゝは夢にも思ひ設けなかつた所である。其見物人といふのが大抵は百姓や漁夫のやうなものであるだらうがそれが子供に至るまで靜肅にして居たのは意外であつた。其役者といふのが桶屋や石屋や宿屋の主人などでありながら相應に品位を保つて見えるのも向鉢卷をとつたことのない博勞の平内さんが能の智識のあるのを見ても此の島の人の心に優しい處のあるのが了解される。博勞が遭うた其日から懇切であるのも宿屋で出掛に必ず草鞋を一足くれるのも小木の宿屋の美人が洗濯をしておいてくれたのも皆此の優しい心の發動でなければならぬ。佐渡といふと昔は罪人の集合所であつたやうに思つて居たのであるが清潔なる島の空氣は彼等の感化のためには穢れなかつたと見えるのである。博勞は此の夜も余と共に泊つてしまつた。
 此の所は越後の寺泊と相對した赤泊の漁村である。

      六 草鞋

 夜明にうと/\として居るとばら/\と雨が廂を打つ。又うと/\としてふと枕を擡げると博勞は既に起きて蒲團の上に煙草をふかして居る。まだ雨だらうかと聞くと日和だ/\と障子
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