である。辨慶が頻りに珠數を押し揉んでは押し揉む。博勞は此時突然「此辨慶珠數の房を振るすべ知らんと叫んだ。余は辨慶に聞えはせぬかと心配した。板の間近く膝に抱かれて居た子供が薙刀に驚いたはづみに持つて居た梨を落した。梨はころころと板の間の中央まで轉つて行つた。外はまだ黄昏である。婆さん達の店が片づけにかゝつて居る。余は先程婆さんの箱の中に椿の葉へ乘せた米饅頭のあつたのを見ておいたのでそれを一包買つてやつた。婆さんは此れは椿ダンゴといふのだといつた。草鞋も足袋も手に提げたまゝ博勞に宿へ案内されて行く。本堂の庭から石段をおりる。途々聞くと佐渡には二派の能の先生があつた。此の博勞の平内さんも若い時分には先生に跟いて歩いたことがある。其後平内さんの先生の方は衰微してしまつて今日の一味だけが立派に立つて居る。然し平内さんの先生には名作の翁の假面が秘藏してあつた。百兩の値打はあると一口にいつて居たのであるが五六年前の洪水で家も藏も流されて其假面も一所に失つてしまつた。それは海へ落ちたのであつたと見えて後に磯へ打ちあげられたのを漁夫が拾つたけれど其時には鼻も缺けて元の姿はちつともなかつたといふのである。
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