と此れはボンと鳴つた。互に鼓を打つて居ると左の方の幔幕がまくれあがつたと思つたら網代の笠をかぶつて右の手に青笹を擔いで一人表はれた。此が三井寺の狂女といふのだと心のうちに思ふ。狂女は造りつけたやうな姿勢でそろ/\と歩く。二間ばかりで板の間へ出る。板の間へ出るとこちらを向いて以前の速度を以て歩いて來る。狂女の衣裝は燦として美しい。然かも古色を帶びて居る。左の手は四本の指を揃へて袖口をぎつと押へて突つ張つて居る。板の間を擦つて一歩々々と踏み出す白い足袋の先が目につく。青笹も笠もとつて捨てた所を見ると下は温い相貌を含んだ假面である。白く塗つた假面はこれも古色を帶びて居る。假面に鉢卷した紐がぱらつと後へ垂れて居る。假面から少し下へ顎が出て見えるが其顎から汗がぽた/\とこけて來る。後ろの幔幕について居る男が時々白紙を以て後から汗を拭いてやる。狂女は白い足袋の先を踏み出し/\蛙聲の如き謠につれて板の間を舞ひめぐる。極めて鈍い運動であるが骨が折れるかして舞ひながら手元が絶えずぶる/\と震へて居る。「三井寺では子役が居ないのですかといふ聲が余の耳もとで聞えたので振りかへると余の側に立つて居た一人が相手
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