居る。其斑紋の美しいことは奈良の鹿などの到底及ばぬ所である。顧れば一行の乘つて來た船は追手に帆を揚げて雨の中に遙かに隔つて居る。木立にはひると庭木のやうに見えたのは皆二抱三抱の樹ばかりであつた。
 雨はしと/\として深更までもやまぬ。厠へ立つたら目の前をひらりと飛ぶものがあつた。驚いて見ると鹿である。手を出したら鹿は指のさきへ鼻づらをこすりつけた。

     九月一日
▲猿
 社務所から出た一行十人ばかり白衣の先達に案内されて金華山を登る。坂が極めて峻しい。曉の霧がひや/\と梢を渡つて雨がはら/\とかゝる。老樹の鬱然として濕つぽい間を行くので深山のやうな淋しい心持がする。忽ち後の方で猿々と呶鳴るものがあつたので振りかへると一行のうちの三四人が立ちどまつて梢を仰いで居る。余も急いでおりて行つて見ると五六匹の猿が樅の喬木に枝移りをして居る所であつた。猿はゆさ/\と枝を搖しながら四つ足を立てゝこちらを見おろして居る。赤い顏がほのかに見える。余は猿の樹に居るのを見たのは此がはじめてゞある。からかつても見たい樣な氣もした。一行のものは皆樹の下へ集つて口々にオンツアマ、オンツアマと呶鳴つて手を叩
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