が一般の順序であるが、例の如く四つ又が其役目に頼まれた。其頃は梅雨に入つて百姓の體が二つあつても足らぬといふ時であつた。豚の仲買で百姓は餘りせぬ四つ又はこんな時の仲裁の役目には屈強だ。梅雨に入つてから珍らしく朝からきら/\と晴れて心持のよい日であつた。四つ又はぶらりやつて來た。親爺は丁度田の代《しろ》掻きから上つて來た處だ。四つ脚から腹一杯泥だらけになつた馬は厩の柱に繋がれた儘さすがに鬱陶しいと見えて時々ぶる/\と泥を振ひながら與へられた一抱の青草を鼻の先で押しやり/\噛んで居る。口から青い汁がはみ出して居る。厩の柱には天秤にする杉の棒が撓めてぎつしりと縛りつけてある。親爺は藁で括つた股引が股から下は泥だらけになつて顏にも衣服にもはねた泥が乾いて居る。家のうらで厩の側には葵の花が五六本立ちあがつてさいて居る。此葵は夏になれば屹度こゝに咲くので裏戸が開け放してあれば往來からでもすぐ目につく。卵屋の葵がさいたと人々は見て通る。葵は此の家の四季を通じて第一の飾りである。葵の側には此の稀な晴天を幸にお袋が一寸の暇を偸んで洗つた仕事衣が干竿に掛けてある。卵屋といふのは此の家の綽名で幾代か前に卵の商ひをしたものがあつたとかで今に至るまで村では卵屋と呼んで居る。
「代《しろ》掻《か》いたのか」
四つ又は厩の所へ行つて問ひかけた。親爺は暇があればかうして厩へ行つて馬の食ひ振を見て居るのである。
「やつと今をへた處だ」
親爺は簡單にかういつて井戸端へ行つた。股引の泥をざつと洗つて家にはひる。四つ又と共に上り框《かまち》へ腰をかける。
「どうした兼が居なくちや仕事が巾《はば》ツたかんべ」
「そんでもどうやらかうやら代だけは出來た」
「忙しい所で濟まねえが今日はおれも頼まれたから來たんだ、惡く思つちや仕やうねえぞ、斷つて置くからな。どうしたもんだいまあ、おすがこと貰あも出來ねえ、兼次が足も自分の持物ぢやねえから止める譯にや行かねえつて伊作男げ斷つたつちいんだがそれも隨分酷え噺ぢやえねか。それに二人はどうしたつて切れねえ縁だ困つたものだぞありやあ。遁げたものはそりや手分けして搜せばどこに隱れたつて分るにや極つて居るやうなものゝ連れて來た所でおめえら方がちやんと極つてなくつちや女の方の身分になつても餘り慰みものにされたやうで世間へ顏向も出來ねえな。何もそんなに頑張らねえで一層のことおすがこと貰つちやつたらどうだ」
「此めえ親類うちから世話されたこともあんだが檢査めえだからつて斷つたんだから其方へ對したつて貰あ所の騷ぎぢやねえ」
「徴兵檢査ツてゆつてもあと三十日が四十日で大概《てえげえ》どうか極らな、そんで兵隊に出たにした所で兩方で極めてだけ置く分にや差支あんめえ。そんなことゆふな理窟つちいものぢやねえか」
「おらどうせ馬鹿だから構はねえが、どうしたつてうんたあ云はれねえ」
「酷くをかしなこといふんだな、そんぢや外に氣にらねえことでもあんのか」
「氣にらねえたつて餘まり人を馬鹿にしべえと思ふんだ。おらぢの野郎が甘口だつて何もお袋まで一緒になつて人の相續人に障るやうなことして呉れねえでもよかんべと思ふんだ。おらどうせ馬鹿だから理窟なんざあ解らねえがさうぢやあんめえか。此間だつて兼が出だす晩にも後で氣がついて見りや裏の垣根《くね》のあたりに二人ばかりうろ/\して居たんだがおらちやんと見當がついてんだ。それぢやおれだつていめえましかんべえ。なあにあんな野郎うちに居なけりや居ねえたつて困らねえから、云ふこと聽かなけりやぶち出すだけだ。おれ幾ら體が弱つたつてあら位な小わつぱにやまあだ自由にされねえ積だから」
「そんなに怒つて騷がねえたつておすがことせえ貰へば怨みもつらみもあんめえ。あつちのお袋だつておすがも可愛いし兼次も可愛いしなんだからこつちせえ譯がわかれば仲よく暮せるつちいもんぢやねえか」
「檢査濟まねえうちはどうしたつて貰あわえから駄目だよ」
四つ又もどうせ駄目とは思つてもいふだけのことは云つて見ようといふ譯なんだが然しかう出ては槍が降つても迚ても駄目だ。四つ又もそれは知つて居る。
兼次の家の庭には垣根について栗の大木がある。松と松との間にあるので枝が一方庭の方へばかり延び出して垂れ下つて居る。房の如く長い花が一杯に白く咲いて居る。白い毛の生えた大きな毛蟲が葉をくつて枝の先にくつゝいて居る。栗毛蟲は構はずに置けばみんな葉を骨ばかりにしてしまふ。兼次の兄の太一が毎日長い竹竿で其栗毛蟲を落して居る。栗毛蟲は強くしがみついて容易に離れないのを太一は氣長に叩いて落ちたのを足で踏み潰す。太一は此を近來の役目のやうにして飽きもせずにやつて居る。兼次には男の兄弟が三人もあつたのだ。一人は十になるかならぬで鬼怒川で溺死をした。其次は此の太一である。此も十位の頃から癲癇になつた。病氣が屡起つてから彼は只ぼんやりとしてしまつた。病氣の起る間が遠ざかれば時としては木の根を掘りに行くこともあつたり一日かゝつて米の一臼位は舂くこともあるが、何處でぶつ倒れるか分らないので殊にお袋の心配は止む時がない。彼は人さへ見ればにや/\と笑つて居る。彼は不具な體でありながら年頃來てからは草刈の娘などに戲談をいふこともあるやうに成つた。娘等は往復共にいゝ慰み物にして太一にからかふ。此を見てつらいといつて涙をながすのはお袋である。こんな不幸な出來事から家の相續をする者は兼次より外には無くなつたのである。其大切な兼次が浮かれ出したのだから非常な打撃であるといはねばならぬ。それがおすがのお袋が指金で此間の晩も垣根の所にうろついて居たのはお袋がお安といふ女を連れて來て居たのだと思つて居るので親爺はもう心外で堪らぬのである。太一は五六日前に隣の五右衞門風呂で病氣が起つて踏板を踏み外して足のうらへ五十錢銀貨位の火膨れが出來たとかで變な歩きやうをしながら今日も落花と毛蟲の糞との散らばつた庭に立つて栗毛蟲を叩いて居る。彼はやがて其竹竿を入口の廂へ立て掛けてぼんやりと立つて此の掛合の後半を聞いた。さうして四つ又が持て餘して双方とも暫く無言であつた時に
「ヱヘヽヽヽヽ嫁さま貰つてやれ」
といつて脇を向きながらにや/\と笑つた。竈の前に心配相な顏をして茶を沸して居たお袋はたぎつた湯を急須にさして上り框へ持つて來た。さうして四つ又の前へ對して極り惡相にして
「太一、わりや默つてろ」
と叱りつけた。
「ヘヽヽおつかあ」
と太一は又にや/\と笑つた。親爺は噺の途中から顏がほとつて來て目の玉まで赤くなつて居る。四つ又は暫くたつて又
「そんぢやどうしても今は貰あねえんだな」
といつた。
「どうしてもおら駄目だよ」
返辭は淀みがない。
「檢査せえ濟めは嫁の世話しても怒るめえな」
念を押す。
「怒らねえとも」
簡單だ。
「ようし齒を拂つて云つたな。そん時はおすがこと世話すつかも知んねえかんな」
四つ又はこんなことで此場は手を引いた。此の表沙汰の掛合があつてから十日ばかり經つて兼次は親爺と一所に自分の家で働いて居た。卵屋は他人へ對しては恐ろしい意地も張りも強い人間であるが兼次がことゝなると大抵のことは忘れてしまふのである。四つ又は其所の呼吸を知つて居るので元の鞘へ收める役目は彼に丈は容易なことであつた。
五
おすがの家では又村の親族が聚つて智惠を絞つた。どうしても此は二人の間を離れさせるのが專一である。それにはおすがを隱すことだと博勞の伊作の考で村の親族の一人が引きとつた。唯の夜遊びでさへ村中押し歩くのだから兼次がおすがを嗅き出すのは牡犬が牝犬を搜すよりも速かであつた。おすがはそれから見習奉公といふ名義で隣村の大盡へ預けられた。然し兼次が其大盡の邸内へ忍び込んだのはおすがゞ行つた其日の晩であつた。其晩兼次はひどい目に逢つた。傭人等が豫め兼次の來ることを知つて主人へ窃に告げたのである。嚴重な主人は傭人に命じて庭の隅へ追ひつめさして捉へた。兼次は地べたへ手をついて謝罪つた。門の外へつき出されてほう/\の態で歸つて來た。娘と千菜物《せんざいもの》は其村の若い衆のものだといふ諺が古くから村には傳つて居る。維新の頃までは若しも他村の男が通《かよ》つてゞも來れば其村の若い衆の繩張を冐したことに成るので散々に叩きのめして其上に和談の酒を買はせたものだといふ。それ程のことはもうないが今でも一つは嫉妬心から一つは惡戲半分から追ひまはすことは往々である。兼次が酷い目に逢つたのも傭人にこんな心持があつたからである。おすがも翌日暇が出た。遉にしほ/\として風呂敷包を抱へて歸つて來た。二人の間に就いては百方策が盡きた。遂に村の旦那へ持つて行くことに成つた。旦那といふのは祖先の餘慶によつて村の百姓をば呼び捨てにするだけの家柄である。大抵の出來事が愈埓明かなくなると屹度旦那の許で裁判を乞ふのが例になつて居る。兼次のことでは旦那も髯をこきおろしながら考へたがやつぱり困つた。卵屋の頑固は叩いて見なくても分つて居る。一先づ本人共の意見を聞かうと最初におすがを呼んだ。おすがはもう埓もない。離れたくないのは山々だけれど離れろといへばそれも素直にいふことを聽くのである。尤も旦那の家へ呼ばれて噺をされるといふことは生來嘗てないことで只恐れてどうもかうもいふことは出來ないのだが眞實死ぬの生きるのといふ程の決心はないのである。おすがはまだ十七にしか成らぬ。次には兼次を呼んだ。卵屋が又變な料簡を起しても困るからとお内儀《かみ》さんの機轉でお安を使つて或日の晝餉の仕事休みに裏庭へ連れ込んだ。お安はおすがと茶摘をして兼次を騷がしたことのある女である。お内儀さんは篤と譯を説いて、此所ですつぱり手を切つてしまふ決心はないかといふと
「わしやどうしても思ひ切れましねえ」
と彼は斷乎としていひ放つのである。お内儀さんも成程と困つた。
「それ程ならさうとして私も心配してやらうがお前の親爺もあの通りで兵隊前は駄目だといふのだが、幸ひ檢査も濟んでお前も輜重輸卒と極つたのだからもう先が見えてるんだ。其時に成つてからなら嫁の相談も出來るしそれまでの所の辛抱だがどうしたものだ。長いやうでも一年足らずだ。さうしてどこにも障りのないやうにしたらどうだ」
兼次も此には少し我を折つた。
「それぢやわしも其積りで辛抱して働きませう」
「さうかさうして呉れゝば仲裁人の顏も立つし、親爺の心も解けるといふものだ。愈それと極まれば双方へ兼次が思ひ切つたと表面噺をして一先づ安心をさせるのだが、それには私が一應お前とおすがを逢はしてやるからそこで内實は決して心變りはしないといふ約束をしておくがいゝ。少し辛抱するうちには兵隊も濟むし其上でなら私らも共々心配をして屹度一緒にしてやるが、おすがゞ其間に辛抱が出來なけりやそれこそ夫婦になつても頼みに成らない女だから其時は未練はない筈だがどうだ兼次さうではないかい」
「さうでがす。なあに辛抱しらんねえやうな女ならわしうつちやつちめえまさあ」
「それでは私がお安を使つておすがを呼び出すやうにしてやるから其の時今いつたやうな手筈にしたがいゝ。其代り屹度辛抱をしなくつちや駄目だよ」
「辛抱するつて云つた日にやわしも屹庭辛抱して見せますから」
兼次は元氣よく家の仕事をして居た。其頃は土用に入つて間もないのであつたが畑の大豆は莢が急に膨れる。青々とした稻草の根元まで暑さがしみ透つて鰌が死ぬといふ位で、百姓は晝は裸に絲楯《いとたて》を着て仕事をする。夜は裸で蚊帳の中に轉がる頃であつた。其日は丁度祇園祭の日であつた。地上には到る所に強い日光を遮る爲に重く深い緑が其手を擴げられるだけ擴げて繁茂して居る。其でも幾日雨の涸れた畑の陸穗は日中は怺へ切れずに葉先が萎れてしまふ。面倒な日が西の林に落ちた時にやつと日光を遮る一日の役目を果した草木は快げに颯々と戰《そよ》ぎはじめる。それから幾十分の後に漸く百姓の暇な時間が來るのである。然し今日は祭の日であるだけに前日に仕事の一區畫をつけて遊ぶものは朝から遊んで居る。十五夜の月が強く青い滑かな夜の空を
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