芋掘り
長塚節
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)外《はづ》され
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|房《ぼう》も
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)殘※[#「日+熏」、第3水準1−85−42]が
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ぽつ/\と
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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一
小春の日光は岡の畑一杯に射しかけて居る。岡は田と櫟林と鬼怒川の土手とで圍まれて他の一方は村から村へ通ふ街道へおりる。田は岡に添うて狹く連つて居る。田甫を越して竹藪交りの村の林が田に添うて延びて居る。竹藪の間から草家がぽつ/\と隱見する。箒草を中途から伐り放したやうに枝を擴げた欅の木がそこにもこゝにもすく/\と突つ立つて居る。田にはもう掛稻は稀で稻を掛けた竹の「オダ」がまだ外《はづ》されずに立つて居る。「オダ」には黄昏に鴫でも來て止る位のことだらう、見るから淋しげである。鬼怒川の土手には篠が一杯に繁つて居るので近くの水は其蔭に隱れて見えぬ。のぼる白帆は篠の梢に半分だけ見えて然かも大きい。土手の篠を越えて水がしら/\と見えるあたりはもう遙の上流である。だから篠の梢を離れて高瀬船の全形が見える頃は白帆は遙かに小さく蹙まつて居る。土手の篠の上には對岸の松林が連つて見える。更に其上には筑波山が一脚を張つて他の一脚を上流まで延ばして聳えて居る。小春の筑波山は常磐木の部分を除いては赭く焦げたやうである。其赭い頂上に點を打つたやうに觀測所の建物がぽつちりと白く見える。稍不透明な空氣は尚針の尖でつゝくやうに其白い一點を際立つて眼に映ぜしめる。櫟の林は此の狹く連つて居る田と鬼怒川との間をつないで横につゞいて居る。田も遙かのさきは櫟林に隱れて、鬼怒川も上流はいつか櫟林に見えなくなる。櫟の木はびつしりと赭い葉がくつゝいて居る。岡の畑は向へいくらか傾斜をなして居るので中央に立つて見ると櫟の林は半隱れて低い土手のやうに連つて見える。林の上には兩毛の山々が雪を戴いてそれがぼんやりと白い。此の如き周圍を有して岡の畑は朗かに晴れて居るのである。土は乾き切つて既に二三寸に延びた麥は岡一杯に薄く緑青を塗つたやうである。そこにもこゝにも百姓が小さく動いて居る。麥をうなつて居るものもあるが大抵は芋掘りの人々である。四五人の手で芋を掘つて居る畑の縁には馬が茶の木に繋いであつて俵が轉がつて居る。此俵があれば遠くからでも芋掘りの人々であることが解る。馬は退屈まぎれに茶の木をむしることがある。其時一人が駈けて來て轡をがちんと一つ極《き》めつけて叱り飛ばせば復たおとなしくなつてぱさり/\と尾を動かして居るのである。各自の手もとは忙しい。然し岡は只長閑なさまである。日は稍傾いた。忽然筑波山の絶頂から眩い光がきら/\と射して來た。毎日同一の時刻に此の光は此岡へ強くヒしかけて來る。百姓の或者は筑波山で火を燃やすのだらうなどといつて居る。然しそれは觀測所のガラス窓が日光を反射するのである。岡の畑に變化が起つたとすれば數時間に只此丈である。ガラス窓の反射はやがて消えてしまつた。芋掘りの人々は勿論此の光は知らなかつた。兩毛の山々がぼんやりした日は西風が吹かないので隨て暖かい。暖かい日は土いぢりの芋掘りには此の上もない日和である。兼次とおすがも街道へおり口の小さな畑で芋を掘つて居る。隣づかりの桑畑は葉が大凡落ちて兼次の芋畑へも散らばつて居る。青いよわ/\した小麥が生え出して居る。小麥は芋の間に二畝《ふたうね》づつ蒔かれてある。芋の莖はぐつたりと茹でたやうである。考へて見ると芋は恐ろしい強情なものであつた。秋の風が日となく夜となく根氣よくいひ寄つてもどうしても厭だ/\といひ通して首を横にばかり振つて居た。秋風が腹を立てゝ其廣い葉を吹つ裂いてもたうとういふことは聽かなかつた。それが秋の末に一夜そつと眞白な霜が天からおりたら理窟はなしにぐつたりと靡いてしまつたのである。おすがは芋の莖を菜刀でもとから切つて先へ出る。菜刀といふのは庖丁のことである。後から兼次が鍬の先で芋の株を掘り起す。ぴか/\と光る鍬の先をざくつと芋の株へ斜に突き立てゝぐつと鍬を持ちあげると大きな土の塊がふわりと浮きる。鍬をそつと拔いて先の株へ移る。小麥へ障らぬやうに極めて丁寧に掘つてはさきへ/\行く。おすがは莖を切り畢ると後へもどつて掘つてある大きな土の塊を兩手で二尺計り揚げてどさりと打ちつける。こまかな土がほぐれてこゞつた子芋の塊から白い毛のやうな根がぞろつとあらはれる。それから芋と芋とを兩手の平でぶり/\とはがしてやがて俵を立てゝ入れる。さうして穴の土を手のさきでならして先の塊をほぐす。乾いた畑に濕つた丸い穴のあとが一つづゝ殖えて行く。日光が其土をあとから/\とこまかに乾かして行く。芋の株を掘り畢つた時に兼次は鍬へついた土を草鞋の底でこき落して茶の木の株へ腰をおろした。鉢卷をとつて額を拭つて居る。小春の暖かさはちく/\と痛いやうに痒いやうに毛穴から汗がにじみ出すのである。おすがも兼次の側へ來た。うつぶしに成つて居た爲かおすがの顏もほてつて居る。村の若者が一人馬へ大根を積んで來た。若者はぱか/\と四つ脚の拍子よく走せて行く馬の後から手綱を延ばして踉いて行く。
「どうした、奴等がつかりしたか」
兼次を見て若者はいひ捨てゝ去らうとした。兼次はそれには頓着なしに
「大根一本おいてけ」
立ちあがりながら叫んだ。若者は
「どう/\どうよ」
馬の口もとを止めて、ぎつしり括つた荷繩から一本引つこ拔いて
「そら二人で喰ふんだぞ」
と兼次を目掛けて抛つた。大根は茶の木へがさりと止つた。兼次は菜刀で大根をむいて噛りはじめた。大根には幾らかの辛味はあるが兼次の乾いた喉にはそれでも佳味かつた。其所へ又一人鍬を擔いで田甫からあがつて來たものがある。
彼は兼次を見ると
「なんのざまだ奴等アハヽヽ」
唐突に惡口をいひ出した。
「いゝから羨《やつか》むなえ」
兼次はすぐにやり返す。
「篦棒いつまでたつても夫婦にも成れねえやうな奴等なんでやつかむかえ。親爺奴きかなけりや喉ツ首でも押してやれ。やくざな野郎だあ」
平生惡口をいひ合うてる間柄だけに思ひ切つた憎まれ口を叩いて去つた。おすがは彼等が來た時すぐに立つてうつぶした儘さつきのやうに土の塊をほぐして芋をぼり/\とはがして居た。兼次も別に氣にするやうでもなくおすがと別のうねの芋をはがして俵へ入れはじめた。
二
兼次とおすがの間柄は久しいものである。それで今では拾い手のない日蔭物といふ形に成つて居る。
百姓の間に生れた子は隨分粗末な扱ひである。お袋が畑で仕事をして居れば笠の中へ入れて畑境の卯つ木のもとへ捨てゝおく。泣いて泣いて火のついたやうに泣いても滅多に構へつけることもない位だから隨て營養も不足なのか六つ七つまでは發育の惡い子も數々あるが、手足がついたとなると容赦もなくこき使はれるので其故か十七八に成ると驚く程立派な體格を持つやうになる。それと同時に女の一人位は拵へるのである。例令そんなことが無いにしても同年輩の誰彼と屹度夜遊に出掛ける。それがだん/\募つて來ると村の隅から隅までふら/\と押し歩いて小娘でもある家の風呂を覗くといふやうになる。兼次も年頃來た時には自然夜遊に屈託した。さういふ場合に兩親はどうするかといふと、自分が以前に其覺えがあつて格別惡いことゝも思はないし一向平氣といふのではないが仕方がないといふ位なものだ。それだから繩の一|房《ぼう》も綯ひ出すとか朝草の一籠も餘計に刈るとか仕事に差支がなければ怪我に一言もしみ/″\した小言などはいはぬが普通である。兼次が夜遊に屈託した頃兼次の家からでは離れて居るが同じ村のうちで幾らか暮しの樂な因業者の夫婦があつた。代々其家は仙右衞門といつたので其が訛つて「センネモドン」と呼ばれて居た。何時の間に誰が教唆したか所謂小若い衆と稱する兼次等の仲間が其家に惡戲をはじめた。丁度霜が二三度おりた頃で宅地へなつた柿で串柿を拵へて日南の壁へ吊したのがあつた。串柿は下で胡麻の殼を焚けばいつの間にか落ちて了ふといふので或夜そつと其串柿を外して散々いぶして復たそつと掛けて置いた。案の如く柿はそれから一つ落ち二つ落ちて今年の柿はどうかしたといふうちに滿足に乾上つたものはなくなつた。固より惡戲されたといふことは知らう筈がない。惡戲としては極めて成功したのである。惡戲者はつけあがつた。或晩薪や麁朶や日頃汗水垂らして掘つた木の根などが壁に堆く積んであつたのを大勢で持ち運び/\入口の戸を壓して一杯に積んでおいた。翌朝水汲みに出ようとした女房が見付けて騷ぎになつた。夫婦は火のやうになつた。口もきかずに半日かゝつてもとの壁際へ積み直した。若い衆の惡戲であることは分明であるが扨て手の出しやうがない。深く遺恨に思ひながら我慢をしてしまつた。おすがの家は此の仙右衞門の家のうしろで屋敷つゞきである。其近邊では一番物持で土藏も一つは立てゝある。近所隣のものは皆おすがの家の風呂を貰ひに來る。仙右衞門の蘭[が或晩風呂を貰ひに行くと若い衆がそこらに出沒して居るのを見た。そこで早速おすがの兄貴に告口をした。兄貴が誰だ/\といひながら裏戸へ出るとばた/\と五六人で遁げ出す足おとがした。然し此風呂場で追はれるのは始終あることで追ふ者も長追はしない。それは自分の家の娘に間違があつてはならぬといふのだから娘が湯上りの赤い顏をして綻びでも縫つて居ればそれで安心が出來るからである。遁げた若者は欅の蔭にでも隱れて居ては又のこ/\と出て來る。仙右衞門の女房は此晩茶うけの菜漬が甘いといふのでむしや/\噛つて饒舌つたので一番あとではひることになつた。裸になつたまゝがらつと裏戸を開けて風呂場へ駈けて行つた。おゝ寒いといひ乍ら風呂の蓋をとつて手拭持つた手を突込んだ。さうしてアレと驚いた聲で怒鳴つた。風呂の湯がちつともなくなつてるといふ騷ぎである。寒さが急に身にしみて慄へて居る所へ厩の蔭から一人飛び出して土だらけの大根を後から肩へぶつ掛けて遁出した。女房は激怒したはづみに裸のまゝ闇の中を追ひかけた。さうして何かへ蹶いてどうんと酷い勢で轉がつた。忽ち三四人の聲でわあと怒鳴つて遁げてしまつた。さつきおすがの兄貴へ告口をしたのは仙右衞門の女房であるといふことを傭人から聞いたので若い者は風呂の栓を拔いてそれから大根を背負はして、豫め二人で繩を持つて居て追つて來る所をぐつと繩を引つ張つたから足を拯《すく》はれたのである。女房は口惜しくて翌日は起きなかつた。然し此の事があつてから惡戲はすつかり止んだ。それは間へ人が立つて兎に角若い衆へ謝罪つてどうか惡戲はしないでくれと年嵩の二三人に頼んだからである。兼次も此の惡戲の仲間であつたがいつかおすがの家の傭人と別懇になつた。時には傭人の懷へもぐり込んで泊つて行くこともあつた。以前は大勢で押し歩いたのが屹度一人でおすがの家のあたりへ行つて褞袍《どてら》を被つて立つて居るのが常のやうになつた。おすがゞ風呂へはひると其側へ行つては只立つて居る。おすがは默つてぼちり/\と手拭の音をさせながら成丈長湯をするやうになつた。時にはおすがゞ流し元で洗ひ物をして居ると窓から篠棒を出して知らせをすることもあつた。二人は遂に扱帶《しごき》と兵兒帶とをとりやりして型の如き關係が結ばれてしまつた。若い女の多くは男に執念くつけまはされゝばそこは落花流水の深い仲に陷るのである。互に決して離れまいといふ約束のもとに體につけた一品が交換される。孰れが厭になつても此一品が相手にあるうちは事件はこゞらける。女が親族などに強ひられて嫁にでも行かうとなつた時には男は女をおびき出すことがある。其所には双方から人が掛つてごつたすつたの絡れになつて結局は平氣で女が嫁に行く。そこは財産のある方から幾らか
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