た男とお袋の膝もとに居るのだからちつとも心に苦勞がない。兼次も好いた女と世帶を持つて女の家の貢ぎをうけて居るのだからこれも苦勞はない筈だが只親爺が出逢がしらに短氣を起しはせないかといふ懸念があるばかりであつた。それも今では安心が出來た。或日のことである。田甫でばつたり親爺にでつかはした。親爺は手織木綿の小ざつぱりした絆纏を着て首へ風呂敷包を括つて居た。兼次はぎよつとした。それでもこちらから
「ツア、何處へ行く」
と言葉を掛けたら親爺は微笑しながら
「うん、絲染めによ」
といつてすた/\行つてしまつた。かういふ間に始終ひとりで氣を揉んで居るのは兼次のお袋である。親爺が短氣を出すから少しも喙を容れずに我慢して居る。相手になるのは癲癇持の不具者ばかりである。一目見たい孫も表向き抱いて見ることも出來ない。人に頼んで兼次へ衣物をやつたり汁の身の葱や大根をやる位に過ぎぬ。
「おら一日でも思ひ晴々としたことはねえんだよ」
と十九夜講で女房達の落合つた時には遂ひ洩れることがあるのである。
「おらまあほんにあれがこつちや「ツアヽ」に隱してなんぼ足袋刺してやつたか知んねえんだよ。氷つた所をぢよりゝ/
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