たかといふ微細な点にまでは及んで居なかつた。然し其花は漠とした記憶の儘《まま》に絶えず自分の眼前に彷彿するやうになつた。それは信州渋の鶴爺さんに逢つたからである。
明治四十一年の秋、自分は上州の草津へ越えるために信州渋の温泉場へ一夜宿つた。渋は其十年前におなじく草津へ越えるために宿つた土地である。自分は夜になるとすぐに鶴爺さんを訪うた。自分はその三年前に此の地に近い越後の山中でふと鶴爺さんのことを耳にして居たのであつた。彼は信州第一の猟夫である。信州北部の人は却て此の地の老画工児玉果亭を誇りとする。然し果亭の画は気魄を欠いて且つ今は老衰枯筆見るに堪へない。自分は鶴爺さんに於て此の地の特産物たるを認めるのである。彼の住居はみすぼらしい見るも哀れげなるものであつた。薄闇いともし灯を尋ねて自分は案内を乞うた。彼は不在であつたが暫《しばら》く待つて居るうちにもどつて来た。裸であつた。彼は襦袢《じゆばん》を引つ掛けて挨拶した。裸は其の躰格を見るのに便利であつた。身長は普通の人であるが、がつしりとした所謂《いわゆる》四角な体である。其腰から脚にかけての構造は如何なる険阻を跋渉しても疲労を感ぜしめ
前へ
次へ
全13ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング