ったが、入れかわりに父が入ってきた。
 このとき、父が来てくれたほど嬉しいことはなかった。そこで私は、手をさしのべて叫んだ、――
「それじゃ御無事でしたね、――エリザベートは――それからエルネストは?」
 父はみんな達者だといって私をおちつかせ、私の関心をもっていることを詳しく話して、私のげっそりした気分を引き立てて元気にしようとしたが、まもなく監獄というものに楽しく住めるわけがないと感じた。「おまえの住んでいる所は、まあなんとしたものだ!」と言って父は悲しげに、格子のはまった窓や部屋のあさましい様子を眺めた。「おまえは幸福を求める旅に出たのに、運命がおまえを追いまわしていると見えるね。それにしても、きのどくなクレルヴァルは――」
 運わるく殺された友人の名は、この弱りきった状態では、なかなか堪えられない刺戟であった。私は涙を流した。
「ああ! そうなんです、お父さん。何かしらひどく怖ろしい宿命が僕に迫っていて、それが終るまで僕は生きなくちゃならないのです。でなかったら、僕はきっとアンリの棺の上で死んでしまったはずですよ。」
 私たちは長く話しこむことを許されなかった。私の健康状態がまだ心配なので、安静を保つためにできるだけの用心が必要だったからだ。そこで、カーウィン氏が入って来て、無理をして力を出しきってはいけないと主張した。しかし、父が現われたことは、私には護り神が現われたようなもので、私はだんだん健康を恢復した。
 病気が治ると、私は、何ものも消すことのできない陰気な暗澹とした憂欝に浸るようになった。ぞっとするほど蒼ざめた、殺されたクレルヴァルのおもかげが、しじゅう眼の前にあった。こういう考えに興奮して危険なぶりかえしが来はすまいかとみんなが心配したことは、一再ならずあった。ああ! どうしてみんなが、こういったみじめでいやな生活をするのだろう。それは、きっと、今や終りに近づいている私の運命を満足させるためであった。まもなく、おお! まさにまもなく、死がこの脈搏を断って、屍になるまで私にのしかかる苦悶のたいへんな重みから、私を救ってくれ、そして正しい審判をおこなうことによって、私もまた安息にひたることができるだろう。そうなってほしいという思いが、いつも念頭を去らないのに、死の姿はいま遠のいてしまった。私はよく、何時間も身しろぎもせず、ものも言わずに腰かけて、私も私の破壊者もその廃墟のなかに埋まるような、大変革か何か起ればよいと思うのだった。
 巡回裁判の季節が近づいた。私はもう三箇月も監獄におり、まだ弱っていてたえず再発の危険もあったのに、裁判の開かれる州庁のある町まで、百マイル近くも行かなければならなかった。カーウィン氏は自分で証拠を集め、私の弁護の手筈をきめるために、あらゆる気を配ってくれた。この事件は、生死を決定する裁判にはかけられなかったので、私は、犯罪者として公衆の前に姿をさらす不名誉をまぬかれた。私の友人の死体が見つかった時刻には、私がオークニー諸島に居たことが証明されたので、大陪審([#ここから割り注]十二名ないし二十三名から成り、小陪審の手に移る前に告訴状の審査をするもの―訳註[#ここで割り注終わり])がこの告訴を却下し、この町へ来てから二週間後には、私は監獄から釈放された。
 私か罪の嫌疑を受けた無念さから解放されて、娑婆の新鮮な空気を呼吸することをふたたび認められ、故国へ帰ることを許されたのを見て、父はすっかり喜んだ。私はそんな気もちにはなれなかった。私にとっては、牢屋の壁も宮殿の壁も、どちらも同じように憎らしかったからだ。生命の盃が永久に毒されていたので、太陽が幸福な楽しい人々を照らすと同じように私を照らしはしたものの、私を見つめる不達の眼のかすかな光しかさしこまぬ、濃い、恐ろしい暗黒のほかには、何ひとつまわりに見えなかった。その二つの眼が、死んでしまって窶れたアンリの表情的な眼、あの、瞼にほとんど蔽われた黒っぽい眼球や、それをふちどる長くて黒い腿毛になることもあり、そうかとおもうと、インゴルシュタットの私の部屋ではじめて見た時の、例の怪物の、白ちゃけてどんよりした眼になることもあった。
 父は私を愛情に眼ざめさせようとした。そこで、まもなく私か帰るはずのジュネーヴのこと――エリザベートやエルネストのことを話して聞かせたが、それはただ、私から深い呻き声を引き出すことだけのことであった。私は、幸福を求めようと願って、私の愛する従妹のことを憂欝な喜びをもって考えることもあったし、また、望郷の念にかきむしられて、子どものころ親しんだ青い湖やローヌの急流をもう一度見たいと熱望することもあったが、私のだいたいの気もちは、自然の神々しい情景も監獄もどうせ同じことだと思うような麻痺状態になっていて、たまにそういった願いがむらむらと起ってきても、それは苦悶と絶望の発作で中断されるだけのことであった。私は再三、なんとか忌わしい存在に結着をつけようとしたので、私が何か恐ろしいむちゃなことをしでかさないように、たえず人が附き添って見張りしている必要があった。
 とはいえ、私には一つの義務が残っていて、考えがそこへいくと、結局は自分の利己的な絶望をひっこめないわけにいかなかった。必要なことは、即刻ジュネーヴに帰って自分の熱愛する人たちの命を見張りし、あの殺人鬼を待ち伏せて、やつの隠れ家のある所に乗りこむような機会があれば、あるいは、やつがふたたび現われて私に危害を加える気になったとすれば、狙いあやまたず、あの奇怪な姿の存在をかたずけることであった。やつの姿は、魂のなかでなおさら奇怪なものとなって私を愚弄するのであった。父は、私が旅の疲れに堪えられないだろうと気づかって、まだ出発を延ばしたいと考えた。というのは、私に打ち砕かれた残骸――人間の影であった。私は腑抜けになってしまった。私は骸骨でしかなく、しかも夜となく昼となく熱が私の体を衰弱させるのであった。
 それでも、私がいらいらして、しつこくアイルランドを立つことをせがむので、父は、私の言いなりにするほうがいちばんよいと考えた。私たちは、アーヴル・ド・グラースへ行こうとしている舟に乗り、順風を受けてアイルランドの海岸から出帆した。それは真夜中のことだった。私は、甲板に横になって星を眺め、波のぶつかる音を聞いた。私は、アイルランドを視野から閉ざす暗やみを喜んだ。まもなくジュネーヴが見れるのだと考えると、熱っぽい喜びで脈搏が鼓動した。過去は、怖ろしい夢のなかのように見えた。けれども、乗っている船と、アイルランドの忌まわしい海岸から吹く風と、あたりの海は、自分が幻想にだまされているわけでないこと、私の友人でありもっとも親しい仲間であったクレルヴァルが、私と私のつくった怪物のために犠牲者となったことを、いやおうなしに認めさせるのであった。私は、記憶の糸をたぐって、自分の全生涯を、家の人たちとジュネーヴに住んでいたころの穏かな幸福、母の死、自分のインゴルシュタットへの出発などを憶いかえした。見るも怖ろしい敵を造り出すように私を駆りたてたあの病的熱狂を憶い出して、私は戦慄し、あいつがはじめて生命を得た夜のことを追想した。私は、筋みちを辿って考えることができず、万感こもごも胸に迫ってたださめざめと泣くのであった。
 熱病が治ってからはずっと、毎晩、ごく少量の阿片丁幾を用いる習慣がついていた。命を持ちこたえるために必要な休息を取るには、この薬にたよるほかはなかったからだ。さまざまな不運の想い出に打ちのめされると、こんどはいつもの倍の量をのんで、そのおかげでまもなくぐっすりと眠った。しかし、眠っても、もの思いやみじめさからのがれてくつろぐことができず、夢のなかにさえ私をおびえさせるものが無数に出てくるしまつであった。明けがたには、夢魔のようなものにうなされ、魔物に頸を締められるような気がしても、それを振りきることができず、呻き声と叫び声が耳にひびいた。私を見守っていた父は、私が寝苦しそうにしているのを見て、私を起した。しかし、ぶつかって砕ける浪がまわりにあり、曇った空が上にあるばかりで、例の魔ものはここにいなかったので、とにかくひとつの安心感、すなわち、現在のこのときと、のっぴきならぬ惨澹たる将来とのあいだに休戦が成り立った、という気もちが、一種の穏かな忘却を与えてくれた。人間の心は、別して忘却には陥りやすくできているのだ。


     22[#「22」は縦中横] 帰郷と結婚


 航海は終った。私たちは上陸してパリへ行った。私は自分が体力を酷使してきたこと、これ以上旅をつづけるにはどうしても休息しなければならぬことが、まもなくわかった。父は、疲れを見せずに私を世話し、めんどうをみてくれたが、私の苦悩が何から来ているのかがわからず、この不治の病を医そうとして誤まった方法を考えた。父に私に、人との交際に楽しみを求めさせようと思ったのだ。ところが、私は、人の顔を見るのが嫌いだった。いやいや、嫌いなものか! そういった人たちは、私の兄弟、私の同胞であって、そのなかのどんないやらしい者でも、天使のような性情と天人のような性分をもった人間と同じように、私を惹きつけるのであった。しかし、自分には、その人たちと交際を共にする権利がない、という気がした。人の血を流し人の呻き声に聞きなれて喜ぶ敵を、この人たちのあいだに、野放しにしたのだ。私の穢らわしい行為と私から出た犯罪のことを知ったとすれば、この人たちは、みんなで私を嫌い、世間から追い出してしまうことだろう!
 父もとうとう、人とのつきあいを避けたいという私の願いに譲歩し、議論をいろいろ持ち出して私の絶望をほくしようとした。ときには、私が殺人の嫌疑に答えなければならないのをひどく屈辱的なことだと感していると考え、誇りなどは何にもならないものだということを証明しようとした。
「ああ、お父さん、」と私は言った、「お父さんは、僕のことはごぞんじないのです。僕のような悪い者が自尊心をもつとしたら、人間は、人間の感情や情熱は、ほんとうに屈辱的なものになりますよ。ジュスチーヌは、きのどくで不しあわせなジュスチーヌは、私と同じように罪がなかったのに、同じように嫌疑をかけられて、苦しみそのために死んでしまいました。原因は私にあるのですよ、――私が殺したのです。ウィリアムも、ジュスチーヌも、それからアンリも――みんな私の手にかかって死んだのです。」
 私の入獄中に、父は再々、私がこれと同じようなことを言うのを聞いており、私がこんなふうに自分を責めると、説明を聞きたがっているように見えることもあったが、また一方、それを錯乱状態の結果だと考えるように見えた。病気中に何かそういうことが考えられるのではないかと想像したが、恢復期になっても私はそのことをおぼえていた。私は説明を避け、自分がこしらえた怪物についてはどこまでも沈黙を守った。私は気が狂っていると考えられたほうがよいと考え、そのためにしぜん、あくまで口をつぐむことになるのであった。それに、また、聞く者を驚愕させ、恐怖とあるまじき嫌悪感をその人の胸に抱かせるにちがいないような秘密を、どうしても漏らすことはできなかった。だから、同情してもらいたいという堪えがたい渇望を抑え、この致命的な秘密を人にうちあけたいとおもう時でも、黙っていた。それでも、なお、前に述べたようなことばが抑えきれなくなっておもわず飛び出すのであった。そういうことを説明するわけにはいかなかったが、それが実際であったことは私の奇怪な災難の重荷をいくぶん軽くしてくれた。
 こういうばあい、父はどうも不審でたまらぬという表情で言うのであった、「ヴィクトルや、おまえ正気でそんなことを言っているのかね。ねえ、頼むから、二度とそんなことを言わないようになさい。」
「僕は狂っているわけじゃないのです。」と私は力をこめて叫んだ、「僕のやったことを見ていた太陽や天なら、僕の言うことが真実だということを、証明してくれますよ。なんの罪もないあの犠牲者たちを殺したの
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