乗った舟を見たが、乏しい星明りで見分けることができたかぎりでは、それは自分かさっき乗っていた舟と同じであった、と自信ありげに言った。
一人の女の証言によると、この女は浜の近くに住んでいて、死体発見の話を聞く一時間ほど前に、自分の家の戸口に立って漁師の帰りを待っていたが、そのとき一人だけ乗った舟が、あとで死体の見つかったあたりの波うちぎわから出かけていくのを見た、ということだった。
もう一人の女は、死体を家のなかに運びこんだという漁師の話を確証した。これによると、死体はまだ冷たくなかった。みんなで寝台に寝かしてこすってやり、ダニエルが町へ薬を買いに行ったが、そのうちにすっかり冷たくなった、ということだった。
私の上陸のことで、ほかの数名の男が調べられたが、いずれも言い合せたように、昨夜はずっと強い北風が吹いたので、この男は何時間も吹きまくられて、出かけた所とほとんど同じ場所に戻されてしまったのにちがいはあるまい、と述べた。のみならず、この男は死体をほかの町から持ってきたと見え、ここの海岸を知らないために、この町から死体を棄てておいた場所までどれだけ隔たっているのかわからずに、港へ入って来たものらしい、とも申し立てた。
カーウィン氏は、この証言を聞いてから、死体を見て私がどんな影響を受けるかを観察するために、埋葬するために死体を横たえてある部屋に伴れて行かせた。こういう考えは、おそらく、殺害の手口を聞いた時に示した私の極度の興奮から、思いついたのであろう。そこで私は、知事とそのほか数人の者につれられて、その部屋に行った。私は、いろいろな出来事のあった夜のあいだのこういう奇妙な、偶然の一致には驚かざるをえなかったが、この死体が発見された時刻には、私が住んでいた島の数人の者と話を交していたことを知っているので、この事件の成りゆきについてはまったく平気だった。
私は、死体の置いてある部屋に入り、棺のところに伴れて行かれた。それを見たときの私の感情をどう言いあらわしたらいいだろう! 私は今でも恐怖に焙られるような気がするし、戦慄や苦悶なしにあの怖ろしい瞬間を考えることができない。アンリ・クレルヴァルの命のない体が私の前に伸びているのを見たとき、取り調べのことも、知事や証人の居ることも、私の記憶から夢のように薄れた。私は息もつけずに喘ぎ、死体の上に身を投げ出して叫んだ、「僕の大事なアンリ、僕のろくでないもくろみのために、君まで命を取られたのか。僕はもう、二人も死なせている。犠牲になるほかの者も、運命を待っているんだ。しかし、クレルヴァル、親友で恩人の君が、――」
人間の体ではもはや、堪えてきた苫悶を支えることができなくなって、私は、烈しい痙攣を起したまま部屋から運び出された。
それにつづいて熱病が起きた。ふた月ほど危篤の状態で寝こんだが、あとで聞くと、私のうわごとはものすごかった。私は自分をウィリアムとジュスチーヌとクレルヴァルの殺害者だと称し、ときには附き添いの者に、自分を苫しめる悪鬼をやっっけるのに手を貨してくれと頼むこともあった。また、ときには、怪物の指がもう自分の頸をつかんでいるような気がして、大きな声で苦悶と恐怖の悲鳴をあげた。
さいわいに、自分の国のことばをつかったので、私の言ったことがわかったのは、カーウィン氏だけであったが、私の身ぶりと激しい叫び声は、ほかの目撃者を怖がらせずにはおかなかった。
私はどうして死ななかったのだろう。かつてこれほど悲惨であった者もないのに、なぜ忘却と休息に陥らなかったのだろう。溺愛する両親のただ一つの望み、花と咲いた子どもたちを、死はいくらでもさらっていく。花嫁たちや若い恋人たちが、この日、健康と希望に溢れているかとおもえば、つぎの日には、墓場の蛆や腐敗の餌食に、どれほどなったことだろう! 車輪が廻るようにたえず苦しみを新たにするいろいろな打撃に、私がこうして堪えられるのは、どんな材料でできているからなのだろう。
しかし私は、生きるように運命づけられていた。そしてふた月ほど経ってから、夢から醒めてみると、自分が、囚人としてむごたらしい寝台にのびており、看守、牢番、閂、そのほかすべて牢獄のあさましい道具立てに囲まれているのがわかった。私がこんなふうに、理解力を取りもどしたのは、朝のことであったとおぼえている。どういうことが起ったのか詳しいことは忘れて、ただ、何か大きな不運がとつぜん私をうちのめしたような気がしたが、あたりを見まわして、閂をさした窓や自分のいる部屋のむさくるしさを見ると、あらゆることが記憶に浮び、私は烈しく呻き声をあげた。
この音で、私のそばの椅子にかけて眠っていた老婆が眼をさました。附添人として傭われたこの老婆は、一人の看守の妻で、その顔つきは、よくこういう階級の者に見られるあの特徴的なよくない性質を表わしていた。顔の輪郭は、人の不幸を同情なしに見ることに馴れている人たちのそれのように、硬くて粗々しかった。声の調子もまったくの冷淡さを表わしており、英語で私に話しかけたが、その声は、私か苦しんでいる最中に聞いた声だと気づいた、――
「もうよくなりましたかね?」とその老婆が言った。
私も英語で、弱々しい声を出した、「どうやらね。しかし、これがすべてほんとのことで、夢ではないとすると、まだ生きてこんなみじめな恐ろしい目にあうのは、残念ですよ。」
老婆はそれに答えた、「そりあね、あんたが殺した紳士のことだとすれば、あんたは死んだほうがいいようなものさ。だって、どうせひどい目にあうものね! だけど、そんなことはわたしのかまったことじゃない。わたしゃ、あんたを看病してよくするためによこされただけだからね。やくめはまちがいなく無事にはたしますよ。誰がやったところでいいのさ。」
私は、胸がむかむかして、命の瀬戸ぎわからたったいま引き返したばかりの人に、こういった無情なことばをかけることのできる女から、眼をそらしたが、けだるくて、過ぎ去ったことをすっかり回想することができなかった。
生涯の全連続が夢のように見え、ときにはそれが、ほんとうに現実のことであるかどうかを疑った。というのは、それが現実の力を伴って順に浮んでこなかったからだ。
眼の前に浮ぶ影像がだんだんはっきりしてくると、私は興奮した。暗やみがあたりに迫ってきたが、やさしい愛情のこもった声で慰めてくれる者は、近くには誰ひとりとしてなく、親しい手で私を支えてくれる者も、一人としてなかった。医者が薬を処方し、老婆がそれを調合してくれたが、医者は、眼に見えてまるきり冷淡だったし、老婆の顔つきには残忍な表情が強く刻まれていた。給金をもらっている死刑執行人のほかは、いったい誰が殺人者の運命に関心をもてるだろう?
私のまず考えたのは、こういうことであったが、ただ、カーウィン氏がたいへん親切にしてくれるのが、まもなくわかった。この人は、私のために、監獄のなかでいちばんよい看房を当てがうようにしてくれたし(じっさい悲惨なのもいちばんだったが)、医者と看護人を附けるようにしたのも、この人だった。カーウィン氏は、さすがに、めったに私のところには来なかった。というのは、あらゆる人間の苦しみを救済したいと熱心に考えてはいたものの、殺人者の苦悩とみじめなうわごとのそばに居たくはなかったのだ。だから、カーウィン氏は、おりおり、私がなおざりになっていやしないかどうかを見に来たが、来るとすぐ帰ったし、来るのも、ごく稀れであった。
ある日、私がおいおいに恢復してきたころ、私は、眼がなかげ開き、頬が死人のように蒼ざめたままで、椅子にかけていた。私はたびたび、陰欝と不幸にひしがれ、自分にとって悲惨なことばかりの世の中に生きながらえることを望むよりは、いっそ死んだほうがよい、と考えた。一時は、自分はきのどくなジュスチーヌに比べると罪がなくはないのだから[#「ないのだから」は底本では「ないのかだら」]、有罪だと名のり、法の裁きを受けるべきかどうかということも考えた。こんなことを思っていると、看房の扉が開いてカーウィン氏が入って来た。氏は、顔に同情と憐憫を表わし、私のそばの椅子を引き寄せて、フランス語で話しかけた、――
「こういう所が君に打撃を与えやしないかとおもって心配でね。何かもっと気もちよくしてあげられることがありませんか。」
「ありがとうございます。しかし、おっしゃってくださることは、僕には無意味なのです。地上にはどこにも、僕の受けられる慰めはないのですから。」
「見知らぬ人の同情が、君のように妙な不運にひしがれた者にとって、ちっとも助けにならないことは、わたしも知っています。けれども君は、まもなくこの憂欝な住まいから出ることになりそうですよ。犯罪の嫌疑から解放されるような証拠が、きっと、たやすく出てきますからね。」
「そんなことはちっとも考えていません。奇妙な事の成りゆきで、僕は人間のうちでいちばんみじめな者になりました。僕のように悩み苦しめられる者にとっては、死ぬことなんか禍ではありませんよ。」
「最近起ったこのふしぎな出来事ほど、めぐりあわせがわるくて人を苦しめたことは、たしかにどこにもありませんよ。あなたは、何か意外な事で、親切で有名なこの海岸に投げ出されてさっそくつかまえられ、そして殺人罪で告発されたのです。最初にごらんになったのは、わけのわからぬやりかたで殺され、いわば悪鬼のようなものの手であなたの通るところに置かれた、あなたの友人の死体でしたよ。」
カーウィン氏がこんなことを言ったので、そのために自分の苫悩を思いかえして興奮したにもかかわらず、また私のことをよく知っているらしいのにもかなりびっくりした。私の顔にかなり驚きが現われたと見え、カーウィン氏は急いで言った――
「君が病気になってからすぐ、身につけておられた書類がわたしのところに来たので、それを調べてみると、かなりの手がかりを見つけて、それでお家の人たちに、君の不運や病気のことを言ってやることができたわけですよ。というのは、数通の手紙が見つかり、その一通が、書き出しから見て、君のお父さんからだということがわかったのです。わたしは、さっそく、ジュネーヴへ手紙を出しました。その手紙を出してから、もうかれこれ、ふた月になりますよ。――それはそうと、君は病気ですね。今もまだ慄えていますよ。少しでも興奮してはいけませんな。」
「この不安は、どんなに恐ろしいことより千倍もこたえるのです。おっしゃってください、新しい死の舞台がどんなふうに演じられたか、こんどは誰が殺されて悲しむことになるのか。」
カーウィン氏はやさしく言った、「御家族はまったく無事です。ところで、どなたか、お友だちがあなたを訪ねて来ていますよ。」
どんな考えからそう思うようなことになったのかわからないが、殺害者が私の不幸を嘲笑しにやって来て、やつの鬼畜のような願望に私を同意させるための新しい刺戟として、クレルヴァルが死んだと言って私を罵るのだということが、たちまち私の頭に浮んだ。私は手で眼を掩って悶えながら叫んだ。――
「おお! そいつを追いはらってください! 僕は会うわけにいかないんだ。後生だから中に入れないでください!」
カーウィン氏は困った顔をして私を眺めた。氏は、私がわめきたてるので、どうやら有罪かもしれないと見ないわけにいかなくなって、どちらかといえば厳しい語調で言った。――
「君のお父さんが見えたとしたら、そんなひどい反感を見せないで、歓迎するにちがいないと、わたしは思うがね。」
「父ですって!」と私は叫んだが、苦悶が歓びに代ってそのために顔の造作も筋肉も弛んだ。「父がほんとに参りましたか。それはそれは御親切に! だけど、どこにいるんです、どうして急いで来ないのでしょう。」
私の態度が変ったので、知事は驚きもし喜びもした。知事は、私がさっき喚きたてたのは、精神錯乱の一時的再発だったと考えたらしく、またすぐ以前の思いやりのある態度に変った。そして、起ちあがって附添人といっしょに出てい
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