等の諸君が入りました。そして京橋區新富町の有名な劇場、新富座の隣りの可なり大きな家に陣どりました。新富座は昔は最も有名な劇場であり、千兩役者ばかり出場する格式の高い芝居小屋でありました。
 この日刊平民の創立は可なりのセンセーションを日本の社會と政府とに起しました。西洋諸國の社會主義者間にもまた少からぬ感動を與へたらしく、諸國の革命家の來訪に接しました。就中ロシヤの革命家ゲルショニといふ巨大な體躯の持主の出現は平民社中に深い印象を與へました。『新紀元』時代にもロシヤの亡命者ピルスツスキイが現はれて、幾度か會食などしたが、今度のゲルショニはさういふことは致しませんでした。ゲルショニは本國の牢獄を脱して來たらしく、餘り落ちついてはゐられなかつたのでありませう。明白な記憶はないが、ブハーリンなども來訪したのではなかつたかと思ひます。印刷機械まで据ゑつけて日刊紙を刷りはじめたのですから、政府の方でも少々眼を見はつたやうでありました。
 この新聞紙上で幸徳は始めから自分の『思想の變化』を發表して、公然無政府主義的主張を宣言しました。それは創刊號から間もない十五、六號の頃で普通選擧制、議會政策を無
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