益な運動となし、勞働者の團結訓練と直接行動とを主張するのでありました。この主張も可なりの衝激を世間一般に與へ、また社會主義者間にも議論を沸騰せしめました。新紀元にも平民新聞にも有力な援助者となつた田添鐵二君は議會政策論者として、正面から幸徳に對立しました。
 幸徳が直接行動論を宣言したのと時を同じくして、足尾銅山の鑛夫達の暴動が勃發しました、たしか二月四日の夕方でした。平民社經營上の相談のために、幸徳、堺、西川三君と私とで、近所の鳥屋に晩餐を喫してゐると、新聞の號外賣りがチリチリ鈴を鳴らして來る。足尾の暴動が益※[#二の字点、1−2−22]激化して來たといふ報道でありました。これはこのまま棄ておく譯には行かないといふことになり、さしづめ西川君が急行して樣子を見たり、通信を書いたり、對策の施すべきことがあれば、適當の處置を講ずる、といふことになり、その夜すぐ出發と決定しました。晩餐もそこそこに濟ませて西川君は先づ家に走り、私は號外を持つて平民社に歸り既に大組を終つて印刷にとりかからうとする工場に行つて、二號活字の大見出しで、暴動記事を付加へました。六日には暴動のますます猛烈なこと、鑛山事
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