觀に就いての説明には、いつも苦しみました。或る時、翁は谷中村のある農家に『人道教會』といふ看板を掲げました。それは今までの政治運動をきつぱり止めて、人道の戰ひと修業とを始めるといふのでありました。ところが、その『人道』とは何ぞや、といふことになつて簡單明瞭な説明が見當らず、私が訪問すると、すぐにその質問です。わたしが『人道とは人情を盡すの道といふことです』といふと膝を打つて喜びました。それから、わたしが、人情の説明にとりかかると翁はそれを制していひました『いや、人情といふことで充分です。それ以上につけ加へる必要はありません』まことに單刀直入を喜ぶのでありました。
谷中村を政府が買收して貯水池にするには、先づ住民を生活不可能状態に逐ひこまねばならない。ところが住民は隣接の赤麻沼に面する堤防缺潰箇所を自費で修築しました。縣廳の方では政府の許可なくしてこの樣な工事を營むのは不都合千萬だから、打ちこはす、と言ふ。明日はその破壞工作に縣の土木課の役人等が來るといふ、その前夜、田中翁は新紀元社に泊られました。わたしは東京の學生や青年達と共に田中翁を擁して防禦戰に赴くことに決定しました。翁と二人で
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