す」
 少々うしろめたい氣持でもあつたが、かう言つてのけた。マダムの氣にさはりはせぬかと不安であつたが、意外にも賛成らしい面持で、愉快さうに
「さうですか、この國にも、さういふ論者が澤山あります。しかし、それでこの世の生活が淋しくはないですか?」
「しかし、わたしは、戀はしました。そのために些か狂ひもしましたが、遂に結婚生活はできませんでした。そして今では、自分の妻だの夫だのといふ符牒が、何だか馬鹿げて感じられるやうになつたのです」
「そりや、あなたの仰しやる通りよ。けれどもね、わたし達のやうな友愛生活になると、ちつともさういふ不愉快はありませんよ」
 室の一隅に長椅子の上に横たはつてゐるルクリュ翁を顧みて
「ねえ、さうでせう! ポール」
 と同意を求めた。
 ポール翁は横臥したまゝ、そんなことには答へもせず
「フランス語の稽古をやらんのかい、その方が大切だよ」
 と大きな聲で怒鳴るのであつた。
 わたし達の對話は英語とフランス語とがちやんぽんに使はれ、話がこみ入つて來ると、英語の方が主になり勝ちであつた。ルクリュ翁の怒鳴つたのはその點についてであつた。そこでマダムはフランス語の發音法
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