會主義の宣傳を試むべく一旗揚げよといふのでありました。平民社の解散後はどうしたら可いかと思案にくれた際ですから、私はうれしさを禁じ得ませんでした。
 その時の木下の意氣込は熱烈でした。二人で安部磯雄氏を訪問したのは、それから二、三日たつてからでした。安部氏も大へん喜んで參加を約しました。そして新しい雜誌の名稱も、安部氏の提議でニュー・エラ=新紀元=と決定しました。それからまた、二人で徳富蘆花を訪問しました。蘆花も喜んでわれわれの計畫を助けてくれることになりました。かうしてキリスト教社會主義を標榜した『新紀元』の運動は發足したのであります。新紀元社の看板は私の家に掲げましたが、その家は今の新宿驛の直ぐ近くで、西部電車がガード下をくぐつて西方に出たところの左側にありました。小さな門を奧深く入つた、藁ぶき屋根の六疊、三疊、二疊といふ小さな家でありました。前田河廣一郎君が同居するやうになつたのは、その時でありました。

     田中正造翁

『新紀元』の運動は私にとつて良い修業になりました。どんな仕事でも、心さへあれば、みな修業でありませうが、あの場合は自分が責任者になつたので、殊に自ら緊張
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