も現はれて來て後には徹夜をするやうなことも少くなりました。普通の新聞型十頁を毎週一回出すのであるから、三、四人の手では骨の折れるのは當然でありました。
平民社の思ひ出は盡きません。若い娘さん達も隨分多く出入しました。一々お話できないがみんな立派な人々でした。機蕨[#「機蕨」に「(マヽ)」の注記]とでも申すべきか、よくもあんなに、多數の女性が、あの鬪爭のなかに、和氣あいあいとして寄り集うたものと、感歎せずにはをられないのです。まことに豐饒な社會運動の温床であつたと言へるのでありませう。
明治三十六年十月に創立せられたこの平民社は、三十八年秋に解散しました。幸徳は渡米することに決して居り、堺は由分社によつて獨立の仕事を創めることになつてゐたので、一先づ解散して捲土重來を期することになりました。平民社に對して外部同志の不滿もあつたやうに聞きましたが、私ども後輩にとつては唯淋しさを禁じ得ませんでした。しかるに平民社解散式の夜、先輩の木下尚江は突然わたしに呼びかけました「旭山やれよ!」。旭山とはわたしのペンネームでした。藪から棒で何のことかと驚きましたが、木下の意はキリスト教の精神に基いて社
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