同時に、或は平民社に同情を持ち、或はこれを援護した人物の多かつたことも忘れ得ない重要事であります。西園寺公、中江兆民等の親友であつた小島龍太郎や、ドクトル加藤時次郎や、ユニテリヤン教會の佐治實然や、毎日新聞の木下尚江や、早稻田大學の安部磯雄や、いづれも皆平民社の相談役でありました。齋藤緑雨、田岡嶺雲、小泉三申、山路愛山、石川半山、斯波貞吉、杉村楚人冠、久津見蕨村などいふ人々は、屡※[#二の字点、1−2−22]平民社を訪れて、或は舌に、或は筆に、平民新聞を賑はしてくれた同情者でありました。いづれも皆錚々たる人物で平民社の背景が如何に賑やかであつたかを推想せしめるものがあります。
平民社は今の日本劇場あたりにあつたと思ひますが、その平民社の前から神田橋まで電車が開通したのは、明治三十七年末か三十八年の初期であつたと思ひます。それまで私は飯田町から毎日徒歩で通つてゐました。最初の内は毎週一回校正のため徹夜をしましたが、慣れない仕事で骨が折れました。築地の國光社といふ印刷所から深夜まで自轉車でゲラ刷を持つて往復する小僧さんにも同情が寄せられました。しかし、だんだん人手も多くなり、校正の助力者
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