先生の教へを受けるやうになりました。それはわたしが萬朝報記者になつてからのことですが、内村先生から授けられる感化はまた不思議に新しいものがありました。海老名氏の思想は進歩的、社會的でありましたが、内村氏の教義は保守的、個人的でありました。而も内村氏の薫りは藝術的であり、海老名氏の色彩は倫理的でありました。内村氏は詩人風のところがあり、海老名氏は教育家的でありました。せめて二十歳前に、このやうな先生方の指導を受けたなら、わたしはもつと仕合せであつたらうにと、どんなにか考へたことでせう。
このやうな思想的影響を受けたわたしが唯物論的社會主義者の創立した『平民新聞』に入つたので入社當時、感激に滿ちてゐる間は何も不都合を感じなかつたが、時のたつに從つて些かの心理的摩擦を覺えることもありました。殊に幸徳氏は眞向から私の基督教を打破しようと攻撃の鋒を向けるのでありました。そして堺氏は中間にあつて、儒・佛・耶すべてがよろしいと、われわれを丸めるのでありました。
兎も角も、わたしは幸徳、堺兩先輩の招き、といふよりは、私自ら志願して平民社に入れて貰ひました。花井氏は大いに反對して萬朝報に留まることを
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