以て尊しとす』といふ『實語教』を素讀しながら、山に木の生えてゐることを初めて見て驚いたのは十一二歳の頃秩父郡に旅行した時でありました。
私たち同郷の少年たちは、河の水は必ず西から東に流れるものと信じてゐました。或る夏のこと、川邊の砂原で五六人の仲間が眞つくろに日やけした背中を並べて甲らを干してゐましたが、何かの話の序に、一人の少年が河は西方へも流れる、と言ひ出して大論爭になりました。その少年は越後から移つて來たものなので私達は一齊に『この越後つぺい、生意氣なことをいひやがる。越後だつてどこだつて、水が西に流れるつて法があるかえ馬鹿野郎! 水はかみからしもへ流れるにきまつてらい!』とののしるのであつた。私の郷里では西がかみで東がしもなのであつた。多勢と一人ではさすがの越後少年も對抗し得ず、齒がみしてくやしがつてゐた。しかし、彼は何か一案を得たものの如く、俄にその砂原を兩手でかいて、渚から西方に向けて一線の溝を掘つた。そしてそこにあつた小さな水たまりに河水を導き流した。『どうだ、見ろやい、利根の水だつて西の方へ流れるぢやねえか』彼はいういう迫らず勝利者の態度でかういひました。世間見ずの私
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