か四代かの承繼ぎが行はれたでありませう。その最後の百姓太郎右衞門夫妻が『譜代召つかひ候家來』の家に引取られて退轉したといふ『開發舊記』の記事が如何にも人生の有爲轉變を物語り、頗るドラマチックの光景を髣髴たらしめます。
かうして、兄の五十嵐大膳の子孫は絶えましたが、弟の九十九完道の子孫は今も細々と家系を繼續してゐます。勿論それは文字通り細々と、であつて、前にも言ひました通り祖先傳來の家も屋敷も無くなり、寺も神輿も灰燼に歸し、村そのものも昔の面影を全然失ひました。『國亡びて山河あり』といふ言葉がありますが、日本の政治も社會組織も、わが村の生活も幾變遷、幾興亡を重ねて今日に至りながら、北に赤城、西に榛名、妙義の諸秀峰を望む私の生地、利根、吾妻、烏、諸川が合流して大利根河を成せる、その急流に臨む私の故郷の自然は、昔ながらの悠揚たる姿を依然として展開してゐます。この急流に足をさらはれて、あつぷ、あつぷともがく間に不思議にも身體が浮かび、瞬間的に遊泳の術を覺えたのも五六歳の幼年時でした。遠い山しか見たことのない私は、山は青くなめらかなものと信じてゐました。幼時から『山高きが故に尊からず、木あるを
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