木下尚江が發行するところの『野人語』に、わたしは花井邸訪問の一齣を次のやうに書いてゐます。
「この堂々たる訪客(堺利彦、野依秀市兩君)の中に、十年着ふるしたるハゲがすりの、この夏一度も洗濯せざる單衣をまとへる予の、いかにみすぼらしく見えしよ。加ふるに予は昨年入獄の際より呼吸器に微恙を得て、やつれし小躯を湘東の一漁村に養ふの身の上である。二十年舊知の花井博士の眼にはこの光景が如何に映じたであらうか。
 堺、野依の兩君は所用を濟ませて辭し去つた。暫くして予もまた所用をすませて當に座を立たうとした。その時花井氏は聲を懸けて
『ちよつと……』
 といふ。何時になく沈んだ聲である。
『失敬だけど、はなはだ失敬だけれど、着物を一枚あげたいが、着てくれますか……』
 予は子路のやうな豪傑ではないが、さりとて衣服の粗末なるを恥ぢらふほどに世俗的でもない。たゞこの頃中から種々なる無理な無心を申し出でてたびたび迷惑をかけた揚句に、この優しい言葉に接して、俄かに心臟の血がワクワクするのを覺えた。
『えゝ、ありがたう』
 と予が答へるのを聞いて、花井氏は、すたすたとドアを排して出ていつた。すぐに歸つて來た。新
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