きには、もう意識がありませんでした。朝おきて元氣に水くみなどしてゐたが、子供に『水をおくれ』と命じ、子供が水を持つていつた時は、すでに、たふれて、意識もなくなつてゐたさうです。だから、兄の家族も、だれ一人最期のお別れを言ふことができなかつたのです。これは、わたしにとつては、つらいことでした。しかし入獄中でなくて、まだしも、よかつたと諦めました。貨車一臺借りぎりで、遺骸を郷里埼玉に運び、貧しいながら兄弟相あつまつて、葬式をすますことができて、いささか心のおちつきを得ました。
 わたしの裁判の判決を聞いて、幸徳は管野とともに、新橋の富貴亭といふ普茶料理で、靜かな別離の宴を催してくれました。何ぞはからん、これが幸徳等との最後の別れであつたのです。今にして思へば、あの時の會食がいかにも淋しさうで、わたしの在獄中におこつた、大逆事件の豫感が、あの人人の間にもあつたのではなかつたか。それはただ、後日になつてのわたしの幻想かも知れません。
 市ヶ谷の東京監獄に入つてまもなく、突然浴場で内山愚童に出會したのは、まことに奇遇でありました。入浴を終つて、浴場をでようとすると、ひよつこり、そこに現はれたのが
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