らステッキで擲つたものがあり――それは年少な荒畑寒村であつたと思ふ――警部の制帽は地上にとんで落ちました。警部はまつ赤な顏をしてその帽子を拾ひ上げるのでした。如何にも殘念さうに見えたが、上司からの特殊な訓令があつたものか、沈默して私の側を離れず行進するのでした。錦輝館前の赤旗事件はそれから數日後のことであり、神田署は五十名餘りの警官を豫め伏せておいたのです。前後の關係はすぐにうなづけるでありませう。

     再度の入獄

 赤旗事件が勃發してから間もなく幸徳は上京したと思ひます。バルセローナでフランシスコ・フェレルが死刑になつた時(明治四十二年十月)記念のあつまりでも開きたいと思つて、幸徳のところに相談に行つたとき、幸徳は新宿驛にちかい新町二丁目に居をかまへてゐました。上京當時は巣鴨の方にゐたのであるが、最近新町に移轉してきたのです。門前には常に五、六名の警官が立番してゐるので、フェレル記念會を開いても動きがとれないであらう、といふのでやめになりました。それに當時幸徳は管野幽月と同棲してゐたので工合がわるかつたのかも知れません。幸徳は殆んど一人で『自由思想』といふ新聞型の月刊ものを
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