の二階でありました。當時の錦輝館は政治演説會や大衆會合の場所として、東京隨一の名所でありました。伊藤痴遊の講談だの、サツマ琵琶だの、少年劍舞だのがあつて、すこぶるにぎやかでありましたが、肝腎の參會者の氣分が融和しませんでした。これは失敗したと氣がついた時は後の祭りでした、早く解散するに如かずと考へて、わたしが立つて閉會の辭と感謝の辭とを述べ始めると大杉と荒畑とは『無政府共産』『革命』等の白色文字を現した赤旗をふり、やがて私の言葉が終るや否や、高らかに革命歌を唄ひ始めました。まだ餘興が進行しつつあるとき、神田署の特高刑事は私のところに來て
「あの赤旗を卷いて貰ふ譯には行きませんか」
と要求するのでありましたが
「張り切つてゐるのだから、とても駄目だ、すてて置きなさい」
とわたしは答へました。
「それでは宜しいです」
といふ刑事の言葉にはいやに力が入つてゐました。
堺をはじめ、大杉、荒畑その他の面々はあたかも凱歌でもあげるやうに元氣一ぱいで會場を出て行きました。わたしは發起人として後始末をせねばならぬのでその事務を執つてゐると、館前の街は甚だ騷がしい。『大へんですよ』と告げてくれる
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