た。其為に私のドム町行きは予定よりも一ヶ月も遅れて了つたのだ。「石川さんが来るから、とマダムは毎日お待ちして居ましたが、到頭御間に合ひませんでした」と女中も言葉を添へた。見事な美味い桜の実は、私の着く一週間前に採入れねばならなかつた。
庭園は一町余りの処に、大部分は葡萄が植え付けられてあつた。尤も其中には数十本の果樹類も成長して居た。そして野菜畑は其中の三分一位に過ぎなかつた。此家の今の主人は、宗教史の権威エリイ・ルクリユの長子ポオル・ルクリユ氏で、私が白国ブルツセル市滞在中止宿したのも此人の家庭であつた。ポオル氏は叔父エリゼの後を継いで、ブ市新大学の教授となり、又同叔父の遺業たる同大学高等地理学院を主幹して居た人である。開戦の後、同氏夫婦は身を以てブルツセル市を脱去つたのである。その後、二人の子は出征し、ポオル氏は造兵廠に働き、夫人独り此山家にわびしい[#「わびしい」に傍点]生活を送るのであつた。
其庭園を耕すべく、一人の老農夫が時々働きに来た。英独語は勿論のこと、伊西両語をも操つるといふ学者の夫人は、あらくれ男の様に鋤鍬を執つて働くのを好んで居た。
「是れは私の蒔いたのです」
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