が武力的革命にまで急発展すると否とに係はらず、かうした気分は顕著である。
 然るに「土民」思想には些かもそうした気分が現はれてゐない。歴史上に於ける「土民」の名称は叛逆者に与へられたものだ。殊にそれは外来権力者、または不在支配者に対する土着の被治被搾取民衆を指示する名称だ。「土民」とは野蛮、蒙昧、不従順な賤民をさへ意味する。温情主義によつて愛撫されない民衆だ。その上、土着の人間、土の主人公たる民衆だ。懐柔的教化に服さず、征服者に最後迄で反抗する民だ。日本の歴史に「土民起る」といふ文句が屡々見出されるが、その「土民」こそ土民思想の最も重要な気分を言ひ現はしてゐる。
 土民は土の子だ。併しそれは必ずしも農民ではない。鍛冶屋も土民なら、大工も左官も土民だ。地球を耕し――単に農に非ず――天地の大芸術に参加する労働者はみな土民だ。土民とは土着の民衆といふことだ。鍬を持つ農民でも、政治的野心を持つたり、他人を利用して自己の利慾や虚栄心を満足するものは土民ではない。土民の最大の理想は所謂立身出世的成功ではなくて、自分と同胞との自由である。平等の自由である。

         ◇

 第二に、農本思
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