想は農民を主とするが故に他の民衆を考慮に入れる余地がない。「農本」といふ言葉其ものが、既に他の職業人を第二位に置くことを予想させる。そこで農本主義者は農民の如何なる社会組織を予想するかゞ問題になる。農本主義とは他の職業よりも農を重しとするものであらうが、それが果して可能であるか。崇神帝の「農は天下の大本なり」といふ勅は決して他の職業を蔑視したものではあるまい。なぜなら直ぐ次に「船は天下の利用なり」とあり、交通機関としての船の重大性を同様に認めてゐるからである。然るに今日の農本主義者はたゞ農民のみを重んじ、農民のみによつて社会改造を成就しようとする。それは農民の機械的の組織を予想させるものではないか。
 土民思想に於ては、職業によつて軽重を樹てない。たゞ総ての職業が土着することを理想とする。自治は土着によつてのみ行はれる。然るに他の諸々の職業人と有機的に連帯しない農民のみの土着は不可能だ。その土着生活は必ず他の職業に依頼せねばならないので、再び動揺を起さねばなるまい。総ての職業が土着するには、金融相場師がなくなるを要する。総ての職業が土着すれば、そこに信用が確立し、投機が行はれなくなる。
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