主義者と同一系統に属するものであるが、「土民」思想は其名それ自身が示す如く階級打破の闘争無しには進展し得ない性質を持つてゐる。

         ◇

 以上の三点を更に少しく詳細に説明しよう。第一に言葉は原理を表現するものである。原理と言つても、形而上的原理とちがつて、規範的実践的原理には知的要素とゝもに情的要素が同様に包含される。従て、その原理を表現する名称には単に理論ばかりでなく気分が現はれてゐるものだ。権藤成卿氏の『自治民範』によると崇神天皇は誓誥を発せられて「民を導くの本は教化にあり、農は天下の大本なり[#「農は天下の大本なり」に傍点]、民の以て生を恃む所なり。多く池溝を開き民業を寛ふせよ。船は天下の利用なり、諸国に令して之を造らしめよ」と勅語せられたといふことだ。農本主義者が現存の階級的闘争を否定し、寧ろ民族的統制のもとに農民の自治的生活を助長しようとするのは、極めて自然のことと言ふべきだ。それは簡単に言へば、農民愛撫主義である。近頃の言葉でいへば温情主義である。農本思想には治者が大御宝を、または民草を、大切にして皇化に浴せしめる、といふ気分が自づからにじみ出てゐる。それ
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