日は馬鹿に暑かつた。木も草も芽も種も枯れ果てるであろうと気づかはれた。種子は地下にあつて定めしもがい[#「もがい」に傍点]たであろう。ケレども熱い日の夜には露が降りる。ソウだ、昨夜の露、アの無声の露が、地を潤ほして、軟かにしてくれたので、稚《わか》い芽は自らを延ばし得たのだ」。
「昨日の日光の熱さは、実にタイラントの暴政の如く吾々を苦めた。柔かい種子も地下でモガイたに相違無い。然しアのタイラントは却つて若い種に活動の元気を与へた。夜露の降りたのも、実はアのタイラントの御蔭である。昨日はアのタイラントの烈暑の為に枯れ果てるであろうと思はれた種が、今朝は鬱勃たる希望に充ちて萌え出て居る。ミラクルの様だ。併し是れが自然だ」。
「種が無ければ芽は生へぬ、蒔いた種は時を得て生へる。花を愛し実を希ふものは、先づ種を蒔かねばならぬ。恐るべきタイラントも却て地層突破の動機たることを思へば、不幸の間にも希望がある。恐怖の間にも度胸が坐る。種を蒔く者は幸いだ」。
 然り、種を蒔く者は幸福である。地は吾等に生活を与ふべく、吾等に労作を要求する。地は吾等自身であることを忘れてはならぬ。

         六
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