文化の本質とも見るべき分業制度を如何に取扱ふべきか。この制度は吾々の社会生活が発展して行くに連れて益々増大するであらうか。さうした極度の分業生活は人間としての尊厳を傷つけるに至らぬであらうか。或はさうでなく、或る程度に分業が達すれば自然にその分化は停止して却て綜合的にまたは兼業的に向ふであらうか。それとも自発的には分業の発展が停止しなくても人為的に防止すべく努力すべきであるか。更らにまた翻へつて、分業そのものに弊害がある訳ではなく、病的に発達した場合のみが悪いのであるか。病理学的研究によつて社会的生理を明かにし、それによつて分業制の是非を決定すべきであるか。
凡そこれ等の問題にそれ/″\正確な答へを与へるには簡単な記述では出来ない。近代|仏蘭西《フランス》に於ける社会学の一権威デユルケムの大著『社会的分業論』は是等の諸問題に対して先づ首肯せらるべき解決を与へてゐるが、併し、それでも尚ほ人間の社会生活の半面をしか見てゐない様な感を懐かされる。従て此論文には可なり多量にデユルケムの思想や言葉が採用されるであらうが、それに対する他の半面があり、且つそれが甚だ重要であることを断つて置く。
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