業を最大限度に行へといふに非ず、必要の限度に実現せよ……」と説いたのは、かうした理由によるのである。

     ○ 分業と社会

 若し万人が同じ生業を営み、自給自足をするとせば――その様なことはあり得ないが――その人間社会は機械的の結合しか出来ず、連帯性は極めて薄弱で、些かの困難又は外患によつても忽ちに破壊されて了ふであらう。そして外来又は内発の強権力に統一される運命に陥ゐるであらう。諸生物が所謂高等になるに従て諸機関の分業的組織が複雑になり、各部が自働[#「働」に「(ママ)」の注記]的連帯性を現す如く、人類社会もまた発達するに従て分業が複雑になり、諸機関の間の連絡も益々緊密になる。兎は臭覚と視覚との連絡を持たないが犬の両感覚神経には統一がある。即ち意識が発達してゐるのである。分業による自我意識の生活は、その儘にして社会に有機的に連帯し、それによつて利己は其まゝ利他と一致するに至る。社会と個人とは物質的にも精神的にも一致するに至る。スクレタンが「自己完成とは、自分の役目を学ぶことだ。自分の職務を充すべく有能者となることだ!……」と言つたのはこれだ。
 この分業的役割の思想を離れた従
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