しものと称せられるアダム・スミスの『国富論』は、実に此「分業」といふ文字を初めて使用し、それによつて世界の知識人は漸く意識的にこの分業とその結果とを見るに至つたのである。前段に掲げたるクロポトキンや、セエ等の分業悲観論は主としてこの工業的労働の細分割にある。
 即ち大組織の機械を運転する補助者として使用せられる賃金労働者は、僅かに生命を維持し得るだけの賃金を受けて、一生涯、終日、極めて単純な一労作を反覆連続することを務めとせねばならぬ。そして人間としての全面的生活を味はひもせぬは勿論のこと、機械の全機構さへも了解しない。労働者は単にその機械をして多大の余剰価値を生産せしめて資本家に捧げしめる道具に過ぎなくなつた。

     ○ 地理的分業

 然るに以上の如く、人或は家による事業の分担と並んで、土地の事情に基く地方的分業が古から自然に発達した。自然現象に支配せられること多き古代人には殊にこの事実が著しかつた。前者を歴史的分業と称すべくんば、後者は地理的分業と言ひ得るであらう。海浜に於ける漁業、山地に於ける牧畜、熱帯湿地に於ける米作、熱帯乾燥地に於ける橄欖樹オレンヂ栽培等数へ挙げれば限
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