自然の為に、又資産家、地主の為に、徒らに労働の切売をして居る。之に於て、農夫も一箇の商人となつた。右手に鍬を持ち左手に算盤を弾く商人となつた。殊に其精神に於て全然商人と化して了つた。如何に能く地を耕やし、如何に善き収穫を得んか、といふことが問題ではなくて、唯だ如何に多くの利益(金銭)を得やうか、といふことのみが重大なのである。農夫の心は既に土地其ものから離れたのである。土地への愛着を喪つて、只管《ひたすら》金儲を夢見る農民が、夏虫の火中に飛び込む如く、黄金火の漲る都会を眼がけて走り寄るのは当然である。
三
素町人の商人と区別せられた昔の農民は、今日は既に存在の跡を絶つて了つた。「機梭《きひ》の声|札々《さつ/\》たり。牛驢走りて紛々たり。女は澗中の水を汲み、男は山上の薪を採る。県遠くして官事少く、山深くして人俗淳し、財あれども商を行はず[#「財あれども商を行はず」に傍点]、丁あれども軍に入らず、家々村業を守つて、頭白きまで門を出でず」(白楽天の「朱陳村」)といふ様な美しい生活は地を払つて無くなつた。こう考へて見ると、今日は最早や、農民問題も、農村問題も無いのであ
前へ
次へ
全7ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
石川 三四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング