て賢愚雅俗のあらゆる人面の芸術的表現を余儀なくさせた。これは人を救う仏でなくて、仏に救われる煩悩の徒である。これは尊崇|措《お》かざる聖者の肖像ではなくして、浮世になみいる妄執に満ちた憐愍《れんびん》すべき餓鬼の相貌である。賢愚おしなべて哀れはかない運命の波に浮沈する盲亀の面貌である。彼岸の仏|菩薩《ぼさつ》でなくて、吾が隣人であり、又自己そのものである。面打といわれる彫刻家の製作にあたっての生きいきした感慨は思いやられる。
 こういう凡人の相貌を芸術化するという稀有《けう》な役割を持つ能面が、野卑な悪写実に走らずして、最も高雅な方向に向ったのは、一に当時の洗煉《せんれん》された一般的美意識によると共に、能楽という演技そのものが、その発祥を格式を尚《たっと》ぶ社寺のうちに持ち、謡曲のうしろには五山の碩学《せきがく》が厳として控えて居り、啓書記、兆殿司《ちょうでんす》、斗南、鉄舟徳済というような禅門書画家の輩出数うるに遑《いとま》なきほどの社会的雰囲気の中に育ち、わけて天才世阿弥のような実技者のきびしい幽玄思想に導かれた事によるのである。
 能面の美は演技上の必要から来た其の表情の縹渺性
前へ 次へ
全29ページ中27ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング