《ひょうびょうせい》に多く基いている。喜怒哀楽をむき出しに表現せず、そのいずれでもなく、又そのいずれでもあるような、含みを深く湛《たた》えた美の性格を極限の境にまで追及して得た此の奥深い含蓄性[#「奥深い含蓄性」に傍点]は、世界に類を見ない美の日本的源泉として、今日われわれの内にこんこんと湧いて已《や》まない無限の力を与えてくれる。「般若《はんにゃ》」のような激情の面でさえ、怒であると同時に、悲でもあり、のしかかる強さであると同時に、寂しい自卑自屈の弱さでもある。こういう類の表現は単にそれを理解する事だけですら、恐らく今日の世界に於ける美の感覚の程度では及び難いのではないかと考えられる。われわれは斯《か》かる超高度美を感受し得る美的感覚を、今後あまねく世界の人々にすすめねばならぬ。此の源泉から得た力を更に時代と共に前進せしめねばならぬ。
奥深い含蓄性[#「奥深い含蓄性」に傍点]は元来東洋の持つ特性ではあるが、支那の持つこれと似たような性質とは根本から違っている。例えば倪雲林の墨画が代表するような含蓄性、又は幽玄性には、いつでも平かならざる抵抗性[#「平かならざる抵抗性」に傍点]を内に
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