「往生要集」に基く往生極楽の信仰をまのあたりに画きあらわした宗教画として、まことに壮麗無比、法悦無上の美が此処にある。「当《まさ》に知るべし、是の時に仏は大光明を放ち、諸の聖衆と倶《とも》に来つて、引接し擁護したまふなり。惑障相隔てて見たてまつること能《あた》はずと雖《いへど》も、大悲の願疑ふべからず。決定して此の室に来入したまふなり。」「命終らんとする時に臨み、合掌|叉手《さす》して南無阿弥陀仏と称《とな》へしむ。仏の名を称ふるが故に、五十|億劫《おくこふ》の生死の罪を除き、化仏の後に従つて、宝池の中に生る。」こういう浄土教の雄大な幻想が、さながら色彩の交響楽となって藤原期の仏画の一々に遍満する。写真の観世音菩薩像にしても金銀五彩の調和そのものであり、且つ又その個々の色彩の質が持つ高度の美に至っては、如何に当時の画人の美意識の極度に洗煉《せんれん》されていたかがうかがわれる。殊に今日まで褪色《たいしょく》もしないでいる紺青|臙脂《えんじ》の美は比類がない。アニリン剤の青竹や洋紅に毒された世界近代の画人は此の前に愧死《きし》するに値する。東京在住の人は帝室博物館に所蔵せられて頻繁に展示
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