巻物のような単独鑑賞の絵画にしても「源氏物語絵巻」の如きは「つくり絵」と謂《い》われる胡粉《ごふん》ぬり重ねによる色彩の諧和《かいわ》豊麗を志している。もともと天平弘仁の彫刻そのものが既に色彩美を十全に発揮した造型であったのであるから、その後をうけた絵画が更に自由な規模による領域を発見してその色彩美をついに交響楽的綜合美にまで高めるに至ったのも自然である。
写真を掲げた一図は高野山に蔵せられる「聖衆来迎図《しょうじゅらいごうず》」のほんの一部分、中央|阿弥陀《あみだ》如来の向って右に跪坐《きざ》する観世音菩薩《かんぜおんぼさつ》の像である。此全画は又「二十五菩薩来迎図」とも称せられ、恵心僧都の筆という伝説のある絹本の大幅三幅に収められた一つの構図である。もとよりその全体を目前にしなければ説明もしかねるのであるが、何分にも竪《たて》六尺九寸、幅一丈にも余る大幅であるので、写真に縮小しては鮮明を欠くのでその一部分を掲げて描法の一端を示す事としたのである。幸い此の全画の写真はよく画集などに出ているので就て見る便宜も多い。もと比叡山に蔵せられたものであるという事であるが、叡山横川の僧都源信の
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