に藤原期の仏画ある事を忘れてはならない。日本にも曾《かつ》て交響楽的色彩の綜合美《そうごうび》に成る芸術の専ら行われた時代のある事を銘記しなければならない。外国人がよく日本を色彩の国と称《よ》ぶ時それは浮世絵の色彩を意味する。版画のあの落ちついた好もしい色彩の美は結局板木とバレンとの工作によって自然に出る色彩の綜合的妙味であって、版画の隆盛期に於ける肉筆絵画が必ずしも同様の妙趣を持っていたのではない。試みに広重北斎あたりの肉筆の彩色画を見れば如何にその版画に於ける色彩との相違の甚だしいかを観る事が出来よう。私の意見では日本に於ける交響楽的色彩美の本質は藤原期にあり、鎌倉期以後はむしろ色彩の把握というよりも素描へ彩色を加えるという意味の方に傾いていると思える。
 藤原期は、天平弘仁の彫刻隆盛の後をうけて絵画興隆の機運に恵まれた時代であり、一方には壁画をはじめとして大小の掛幅が作製され、又一方には宮廷生活の需要に応じた「源氏物語絵巻」のような絵巻物の類が創作せられた。いずれも色彩美のよろこびに溢《あふ》れたものであって、壁画掛幅のような建築との色彩調和に俟《ま》つものは当然の事としても、絵
前へ 次へ
全29ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング