せられる「白象普賢菩薩像」に接する機会が多い。此の同じ藤原期の仏画に接して日本に曾《かつ》てあった色彩美の如何なるものであったかを実際に観られるがいい。色彩に於ける美の日本的源泉[#「色彩に於ける美の日本的源泉」に傍点]は決して低い浮世絵などの中に存在せずして、遠く高い藤原期にあり、しかもそれが絶妙のものである事を世界にもあまねく知らしめたい。そうしてわれわれは此の源泉から深く汲んで堂々たる交響楽的色彩美を今後の日本美の有力な一要素たらしめたい。

   能面「深井」

 以上私は、美の日本的源泉を説いて来た。ここにいう美の日本的源泉とは、単に美術上に於ける日本的美の性格とか、特質とかを意味するのではない。私の意図するところは、深くわれわれ民族の本能に根ざして他民族の美の理念と或は隔絶し、或は共通し、しかも世界に於ける美の健康な支持者として強力な気魄《きはく》と実質とを持ち、ギリシャ、エジプト、ゴチック、支那というような異質の美の系統に対しても堂々たる位置を占め、殊に近代に於ける世界の美をその廃頽《はいたい》から再起せしめる事に十分に役立ち、今後われわれ民族の努力によって、今日迄甚だ特
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